本日発売の『会津人群像』24号で会津藩士の蝦夷地移住をまとめて掲載した。小樽近くの余市町へ移住したことは知られているが、実は周辺の歌捨郡別手村や瀬棚郡などへも移住していたのだ。 これら会津藩士の集団移住についての史料は会津図書館にもなく、広く知られることはなかった。 上記の町村へ移住した藩士の総数は約730名で、刀を鍬に持ち替えて原野の開拓に挑み、逆賊の汚名を着たまま、厳しい環境で開墾に挑まなければならなかった。 苦しい開拓生活の中で、我が国初のリンゴ栽培に成功し、「緋の衣」と名付けたことは明るい情報だった。 移住者の中には、白虎隊士の生き残りもおり、開拓に見切りをつけて会津へ舞い戻った者もいる。 この原稿はこれからの蝦夷地移住の貴重な史料となるのは必至。原稿をまとめるにあたり、史料や写真を提供していただいた北海道内の関係者に深く感謝したい。 間もなく、関係者には本号を郵送します。しばし、お待ちあれ!