原発に国境はない 大震災発生から約1か月の4月18日、福島原発から漏れた放射能物質が、南半球のオーストラリア、フィジーで検出された。体に影響はないが、福島原発からの放射能物質は一か月で地球全体を汚染した。 1979年のスリーマイル島(米)、1986年のチェルノブイリ(旧ソ連、現ウクライナ)原発事故を超える事故だが、日本政府の発表は「出来るだけ小さく」しようとする意図が見え見えだ。 震災2日目の3月12日、第2原子炉が爆発した際の記者会見で、枝野官房長官は「爆発的事象」と言い張った。日本テレビ系列の地元福島中央テレビが爆発の瞬間をとらえたスクープ映像を流していたのだ。政府のいい加減な(うそつきな)発表には呆れるばかり。国民は政府を信用しなくなった第1の原因は、この日の発表であった。
このため磯田氏は、「今回のような大津波は千年に一度でなく400年に一度は来ていた可能性がある」と指摘している。 この慶長津波に関連する地震について、『会津若松史』12巻史料便覧編にも「慶長16年8月21日、会津地方に大地震」と、また『会津歴史年表』(会津史学会編)にも、「同日辰の下刻(午後7時から8時頃)、会津地方に大地震(M7.3)あり、若松城の石垣悉く崩れ、殿守差損、法要寺などの堂塔倒壊、死者3700人を超え、民家2万戸潰れる」と記している。 全国に54基の原発が稼動し、消費電力の3割を占めている原発を今さら止めることは事実上、不可能だ。しかし、福島原発は40年稼動させており、破滅的な事故の危険確立は十分の一以上であったかもしれない計算だ。 過去の史実を無視して原発を建設した責任は大きい。東電だけでなく、むしろ日本政府そのものの責任による”人災”と言わざるを得ない。大熊町の入り口に掲げられている「原子力 明るい未来のエネルギー」という大きな看板が虚しい。 松浦氏は「最悪なのは、新たな水素爆発で格納容器が破壊され、放射性物質が大量に流出することだ。こうなると、日本にはもう解決策がないと思う」と、起ってほしくない最悪のシナリオを語っている。
日本史家の磯田道史氏は、読売新聞4月27日付けで、「千年に一度の大津波という想定は甘い」と警告する。磯田氏によれば、1611年(慶長16年)、東北地方に慶長大津波が起き、伊達政宗の使者が徳川家康に初物のタラを献上した際、津波を報告している、という。 『駿府記』によれば、東北慶長津波は恐るべき巨大津波で、伊達領では「海辺の人家に大津波が来て溺死者が5千人出た」という。当時の日本全体の人口は千数百万人で、現在の10分の一だから、単純計算で犠牲者は5万人、ということになる。 このため磯田氏は、「今回のような大津波は千年に一度でなく400年に一度は来ていた可能性がある」と指摘している。
しかし、貞観地震は序章に過ぎなかった。その後、震源域を関東、西日本と西へ移動しながら列島は揺れ続けた。 871年、鳥海山(秋田、山形県)噴火。 874年、開聞岳(鹿児島県)噴火。 878年、関東地震、相模、武蔵で大被害。 880年、出雲(島根)地震、神社、仏閣倒壊。 881年、平安京(京都)地震、翌年まで余震続く。 887年、西日本地震、平安京ほか各地で大被害。大阪湾に津波襲来、南海・東南海連動地震の可能性。 888年、八ヶ岳(長野、山梨県)噴火。 立て続けに起きた震災は律令国家の崩壊を決定付け、中央の貴族は自分の給料さえ入れば、地方に何が起きても関心を示さなくなってゆく。国家は滅び、やがて武士の登場になる。
この貞観地震について、最後の正史である『之本三代実録』に細かく描写されているので紹介する。(口語訳) 「貞観11年5月26日、夜にも関わらず発光現象が起きて昼のように明るくなった。家の倒壊や地割れで生き埋めになり、多数の被害者が出た。馬や牛は啼きながら互いに踏みつけて走り回った。陸奥国府の多賀城の城郭、倉庫、門、櫓、壁は崩れ落ち、被害を数えることも出来ない。 海が雷のような音をたてた。荒れ狂う海は渦巻きながら膨張し、巨大な波はまたたく間に城下を襲った。 海は数十、百里(見渡す限り)に広がり、どこが地上と海の境だったか分らなくなった。いまや道も野も水の中にある。船で逃げることも、山に登ることもできず、溺死したものは一千人を数える。人々は資産も来年植える苗も失い、ほとんど手元に残るものはなかった」 朝廷は地震から約3か月後の9月、陸奥国地震使を現地に派遣、当時の清和天皇は翌月、被災地の免税や遺体の埋葬などの対応策を発表した。
過去最大の津波を無視
原発の耐震設計を見直すため、2009年(同21)6月に開かれた経産省の専門家会合。産業技術総合研究所活断層・地震研究センター長の岡村行信センター長は、東電が示した福島第一原発の見直し案を厳しく批判した。
「過去に起きた大津波について、全く触れられていない」。
産総研の調査で約1100年前(貞観11年ー869年)に巨大地震が起き、宮城〜福島県沿岸を中心に「貞観(じょうがん)津波」と呼ばれる大津波が発生した史実が判明した。仙台平野などで内陸3、4キロまで浸水する大津波だった。が、見直し案はこれを無視した。この大津波に関連して『会津歴史年表』(会津史学会編)に「869年5月26日、陸奥国の地大振動す。流光は昼の如し」とある。
この証言を裏付けるように、原子力分野の学者は津波を軽視していたようだ。2007年(平成19)2月、静岡地裁で開かれた中部電力浜岡原発運転差し止め訴訟の法廷で、当時、東大教授だった原子力安全委員会の斑目春樹委員長は「割り切って考え、すべてを考慮すると設計できなくなる」と言い切った。非常用電源などの機器が同時に機能喪失する事態を想定していない理由を問われて答えた。 ◇ ◇ ◇ 第一原発1〜3号機はメルトダウンしたことが東電の2か月半遅れの発表で明らかになったが、3つの原子炉で、圧力容器だけでなく、その外側を覆う鋼鉄製の格納容器まで損傷していた可能性があることが判明した。事故はどんどん悪化し、放射能が飛散している。夏期は南風で、福島より北方向に向いているが、冬期には、首都圏に向かって北風が吹く。”その時”首都圏に住む人間は? 逃げ出すわけにはゆかない。
今回の原発事故で、日本の原子力政策は一時的には停滞するだろう。原子炉立地の際に津波など自然災害を充分に考慮したかーなど、安全性を再検証し、再評価を行うことが必要だ。 崩壊した原発の「安全神話」について、元原子力安全委員長の松浦祥次郎氏(現原子力安全研究会評議員)は読売新聞に対して 「まず国民に深く陳謝しなくてはいけない。自然の脅威に対する見方、対応が不十分だった」と責任を認めている。 また、津波について、「安全委員会も考えていなかったわけではないが、予想よりはるかに大きかった。今回と同様の規模の津波が過去にあったと警告する研究者がいるのを知ったのは最近のことだ」と証言し、安全性より、原子力が社会にもたらす利益を優先させたことが判明した。
その証拠に、東京湾には、東京の大井や神奈川県川崎市、千葉県富津市に東電火力発電所はあるが原発はない。 高度経済成長が続いていた1990年代、首都機能移転問題がクローズアップされ、福島県の阿武隈地区が有力候補地になった。地元紙二紙は、県の御先棒を担いで記事で煽った。筆者は読売新聞の子会社に出向していた時だったが、「原発が近くにある場所に首都は来ないよ」と言い放ったことがあった。 幸い、実現することなく、立ち消えになったが、首都が福島に移転していたら、と思うと背筋が寒くなる。 世界で初めての大津波による原発の被災は、安全神話をあっさり覆した。「原発は事故を起こさない」という、いわれなき安全神話を信じた住民、それを言い続けた政府、原発関係者、学者らは、反面、事故が起きた場合の対処の仕方をまったく考慮してこなかった。そのツケが今回、事故を大きくした。彼等の責任は実に大きい。
政府の唱える原発の「安全神話」を信じて、原発で町おこし、と言う意識があったろうし、何より原発立地で下りる巨額な現金の魅力に負けたのである。それに原発や関連企業への就職の道も開けることも魅力だった。 決め手は、東電からの漁業補償金、政府からの「電源立地地域対策交付金」と「核燃料税」というゼニの魅力だった。原発建設後、公民館、図書館などハコモノづくりで住民は満足し、「もしや」などは頭になかった。 何故、首都圏から遠く離れた福島県に原発立地を決めたのだろう。地価が安く入手しやすいのも選んだ基準であろう。しかし、何と言っても原発の事故が発生した場合、「首都から離れた」場所を選んだはずだ。 政府は「原発は安全である」と表面は唱えても、「首都汚染」を避けて選んだ、というのが本音だろう。千葉、茨城県を越えて福島県を、になったはずだ。
地元が原発誘致を決議 核燃料が溶融、安全神話崩壊
小史で、地元大熊町と双葉町の町議会は1961年9月、原発誘致を決議していたことが判明した。「原発いらっしゃい」というのだから恐れ入る。それ以前の59年5月に福島県が原発建設地として双葉郡大熊、双葉地区を最適と確認していた。当時の知事は佐藤善一郎氏だ。 適地とした理由は、浜通りで民家も多くなく、漁業補償も少なくて済む計算があったはずだ。福島県、地元が一体となって原発誘致に動いたことになる。国策とはいえ、原発の危険性を考えなかったのだろうか。 今回の事故から2か月経った5月12日、福島第一原発1号機の核燃料炉心が溶融(メルトダウン)し、圧力容器にも穴が開いて高濃度汚染水が漏れている最悪の状態に向かっていることが判明した。
東電は、福島第一原発3号機の原子炉で再臨界が起きないよう、原子炉の冷却水に、中性子線を吸収するホウ酸を注入した。再臨界は連続的な核分裂が再び起る現象。
本日で原発小史は一旦終了し、明日から総括をスタートさせる。安全神話を信じて「原発いらっしゃい」だった地元ーーー。振り返れば矛盾だらけの福島原発ではある。「フクシマ」は地図上から消え去ろうとしている。
岩手県滝沢村牧草からセシウム検出。福島より北で初。 福島県北塩原村の檜原湖のワカサギ、いわき市鮫川のアユからセシウム検出。県内の福島、郡山市内の小学校校庭の土壌からもセシウムが。空、海、湖、野菜、牧草、魚などに影響が出始めている。
天皇、皇后両陛下、福島県を訪問され、福島市と相馬市内の避難所にいる原発からの被災者を激励される。 第一原発3号機の立て抗から基準値の62万倍のセシウムなどを含む高濃度の汚染水が流出。300km離れた神奈川県南足柄市の茶場から暫定基準値を超えたセシウムを検出。同県では業者に出荷自粛を要請。茨城、群馬、栃木、埼玉、千葉県の牧草からも検出。放射能は海、空を汚染している。
北海道黒松内町の読者から、会津藩士の蝦夷地移住についての貴重な史料が送られて来た。同町に住むKさんで、「会津藩士は余市町だけに移住したのではありません。きちっと書いて下さい」。多謝
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