会津の歴史
河野十四生の歴史ワールド
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・2011年
3月7日〜12年4月26日
 歴史小説鶴ヶ城物語
4月28日〜6月4日
 検証 福島原発
・2012年
4月27日〜5月9日
 日本の電気事業
5月10日〜6月1日
 家訓15か条と什の誓い
6月2日〜6月21日
 靖国神社と会津藩士
6月22日〜7月3日
 江戸湾を守る
7月4日〜11月9日
 軍都・若松
11月10日〜12月17日
 昭和天皇
12月18日〜12月27日
 新島八重
12月29日〜13年2月19日
 論語
・2013年
2月21日〜6月1日
 北越戊辰戦争
6月4日〜8月26日
 幕末維新に燃えた會津の女たち
8月27日(上、中、下)
 奥羽越列藩同盟
8月30日〜11月17日
 箱館戦争
11月20日〜14年2月19日
 若松町役場の会津藩士
・2014年
2月20日〜3月4日
 幕末、木更津は会津藩領だった
3月5日〜3月12日
 木更津異聞
3月13日〜4月23日
 若松町役場の会津藩士
4月24日〜5月10日
 竹島問題
5月11日〜6月27日
 若松町役場の会津藩士
6月28日〜7月7日
 般若心経
7月9日〜7月16日
 尖閣諸島
7月17日〜8月20日
 會津藩士の蝦夷地移住(上)
8月21日〜12月8日
 會津蕃大窪山墓地に
   眠る藩士たち
12月9日〜15年2月18日
 會津藩士の蝦夷地移住(下)
・2015年
2月19日〜2月22日
 近藤勇の首
2月23日〜6月14日
 幕末の剣豪 森要蔵
6月15日〜7月17日
 日本女帝物語
7月18日〜11月20日
 戦国武将便覧
11月21日〜12月15日
 不撓不屈の武士・柴五郎
 第1章
12月16日〜12月19日
 會津身不知柿
12月20日〜16年6月13日
 不撓不屈の武士・柴五郎
 第2章〜第10章(最終章)
・2016年
6月14日〜6月30日
 会津の間諜 神戸岩蔵
7月2日〜7月23日
 奥羽越列藩同盟
2011年05月31日(火) 検証 福島原発(33)
     ◇総括(11)

         原発に国境はない
 大震災発生から約1か月の4月18日、福島原発から漏れた放射能物質が、南半球のオーストラリア、フィジーで検出された。体に影響はないが、福島原発からの放射能物質は一か月で地球全体を汚染した。
 1979年のスリーマイル島(米)、1986年のチェルノブイリ(旧ソ連、現ウクライナ)原発事故を超える事故だが、日本政府の発表は「出来るだけ小さく」しようとする意図が見え見えだ。
 震災2日目の3月12日、第2原子炉が爆発した際の記者会見で、枝野官房長官は「爆発的事象」と言い張った。日本テレビ系列の地元福島中央テレビが爆発の瞬間をとらえたスクープ映像を流していたのだ。政府のいい加減な(うそつきな)発表には呆れるばかり。国民は政府を信用しなくなった第1の原因は、この日の発表であった。

2011年05月30日(月) 検証 福島原発(32)
     ◇総括(10)

 このため磯田氏は、「今回のような大津波は千年に一度でなく400年に一度は来ていた可能性がある」と指摘している。
 この慶長津波に関連する地震について、『会津若松史』12巻史料便覧編にも「慶長16年8月21日、会津地方に大地震」と、また『会津歴史年表』(会津史学会編)にも、「同日辰の下刻(午後7時から8時頃)、会津地方に大地震(M7.3)あり、若松城の石垣悉く崩れ、殿守差損、法要寺などの堂塔倒壊、死者3700人を超え、民家2万戸潰れる」と記している。
 全国に54基の原発が稼動し、消費電力の3割を占めている原発を今さら止めることは事実上、不可能だ。しかし、福島原発は40年稼動させており、破滅的な事故の危険確立は十分の一以上であったかもしれない計算だ。
 過去の史実を無視して原発を建設した責任は大きい。東電だけでなく、むしろ日本政府そのものの責任による”人災”と言わざるを得ない。大熊町の入り口に掲げられている「原子力 明るい未来のエネルギー」という大きな看板が虚しい。
 松浦氏は「最悪なのは、新たな水素爆発で格納容器が破壊され、放射性物質が大量に流出することだ。こうなると、日本にはもう解決策がないと思う」と、起ってほしくない最悪のシナリオを語っている。

2011年05月29日(日) 検証 福島原発(31)
     ◇総括(9)

 日本史家の磯田道史氏は、読売新聞4月27日付けで、「千年に一度の大津波という想定は甘い」と警告する。磯田氏によれば、1611年(慶長16年)、東北地方に慶長大津波が起き、伊達政宗の使者が徳川家康に初物のタラを献上した際、津波を報告している、という。
 『駿府記』によれば、東北慶長津波は恐るべき巨大津波で、伊達領では「海辺の人家に大津波が来て溺死者が5千人出た」という。当時の日本全体の人口は千数百万人で、現在の10分の一だから、単純計算で犠牲者は5万人、ということになる。
 このため磯田氏は、「今回のような大津波は千年に一度でなく400年に一度は来ていた可能性がある」と指摘している。

2011年05月28日(土) 検証 福島原発(30)
     ◇総括(8)

 しかし、貞観地震は序章に過ぎなかった。その後、震源域を関東、西日本と西へ移動しながら列島は揺れ続けた。
 871年、鳥海山(秋田、山形県)噴火。
 874年、開聞岳(鹿児島県)噴火。
 878年、関東地震、相模、武蔵で大被害。
 880年、出雲(島根)地震、神社、仏閣倒壊。
 881年、平安京(京都)地震、翌年まで余震続く。
 887年、西日本地震、平安京ほか各地で大被害。大阪湾に津波襲来、南海・東南海連動地震の可能性。
 888年、八ヶ岳(長野、山梨県)噴火。
 立て続けに起きた震災は律令国家の崩壊を決定付け、中央の貴族は自分の給料さえ入れば、地方に何が起きても関心を示さなくなってゆく。国家は滅び、やがて武士の登場になる。

2011年05月27日(金) 検証 福島原発(29)
     ◇総括(7)

 この貞観地震について、最後の正史である『之本三代実録』に細かく描写されているので紹介する。(口語訳)
  「貞観11年5月26日、夜にも関わらず発光現象が起きて昼のように明るくなった。家の倒壊や地割れで生き埋めになり、多数の被害者が出た。馬や牛は啼きながら互いに踏みつけて走り回った。陸奥国府の多賀城の城郭、倉庫、門、櫓、壁は崩れ落ち、被害を数えることも出来ない。
 海が雷のような音をたてた。荒れ狂う海は渦巻きながら膨張し、巨大な波はまたたく間に城下を襲った。
 海は数十、百里(見渡す限り)に広がり、どこが地上と海の境だったか分らなくなった。いまや道も野も水の中にある。船で逃げることも、山に登ることもできず、溺死したものは一千人を数える。人々は資産も来年植える苗も失い、ほとんど手元に残るものはなかった」
 朝廷は地震から約3か月後の9月、陸奥国地震使を現地に派遣、当時の清和天皇は翌月、被災地の免税や遺体の埋葬などの対応策を発表した。

2011年05月26日(木) 検証 福島原発(28)
     ◇総括(6)

         過去最大の津波を無視

 原発の耐震設計を見直すため、2009年(同21)6月に開かれた経産省の専門家会合。産業技術総合研究所活断層・地震研究センター長の岡村行信センター長は、東電が示した福島第一原発の見直し案を厳しく批判した。

 「過去に起きた大津波について、全く触れられていない」。

 産総研の調査で約1100年前(貞観11年ー869年)に巨大地震が起き、宮城〜福島県沿岸を中心に「貞観(じょうがん)津波」と呼ばれる大津波が発生した史実が判明した。仙台平野などで内陸3、4キロまで浸水する大津波だった。が、見直し案はこれを無視した。この大津波に関連して『会津歴史年表』(会津史学会編)に「869年5月26日、陸奥国の地大振動す。流光は昼の如し」とある。

2011年05月25日(水) 検証 福島原発(27)
     ◇総括(5)

 この証言を裏付けるように、原子力分野の学者は津波を軽視していたようだ。2007年(平成19)2月、静岡地裁で開かれた中部電力浜岡原発運転差し止め訴訟の法廷で、当時、東大教授だった原子力安全委員会の斑目春樹委員長は「割り切って考え、すべてを考慮すると設計できなくなる」と言い切った。非常用電源などの機器が同時に機能喪失する事態を想定していない理由を問われて答えた。
     ◇   ◇   ◇
 第一原発1〜3号機はメルトダウンしたことが東電の2か月半遅れの発表で明らかになったが、3つの原子炉で、圧力容器だけでなく、その外側を覆う鋼鉄製の格納容器まで損傷していた可能性があることが判明した。事故はどんどん悪化し、放射能が飛散している。夏期は南風で、福島より北方向に向いているが、冬期には、首都圏に向かって北風が吹く。”その時”首都圏に住む人間は? 逃げ出すわけにはゆかない。

2011年05月24日(火) 検証 福島原発(26)
     ◇総括(4)

 今回の原発事故で、日本の原子力政策は一時的には停滞するだろう。原子炉立地の際に津波など自然災害を充分に考慮したかーなど、安全性を再検証し、再評価を行うことが必要だ。
 崩壊した原発の「安全神話」について、元原子力安全委員長の松浦祥次郎氏(現原子力安全研究会評議員)は読売新聞に対して
 「まず国民に深く陳謝しなくてはいけない。自然の脅威に対する見方、対応が不十分だった」と責任を認めている。
 また、津波について、「安全委員会も考えていなかったわけではないが、予想よりはるかに大きかった。今回と同様の規模の津波が過去にあったと警告する研究者がいるのを知ったのは最近のことだ」と証言し、安全性より、原子力が社会にもたらす利益を優先させたことが判明した。

2011年05月23日(月) 検証 福島原発(25)
     ◇総括(3)

 その証拠に、東京湾には、東京の大井や神奈川県川崎市、千葉県富津市に東電火力発電所はあるが原発はない。
 高度経済成長が続いていた1990年代、首都機能移転問題がクローズアップされ、福島県の阿武隈地区が有力候補地になった。地元紙二紙は、県の御先棒を担いで記事で煽った。筆者は読売新聞の子会社に出向していた時だったが、「原発が近くにある場所に首都は来ないよ」と言い放ったことがあった。
 幸い、実現することなく、立ち消えになったが、首都が福島に移転していたら、と思うと背筋が寒くなる。
 世界で初めての大津波による原発の被災は、安全神話をあっさり覆した。「原発は事故を起こさない」という、いわれなき安全神話を信じた住民、それを言い続けた政府、原発関係者、学者らは、反面、事故が起きた場合の対処の仕方をまったく考慮してこなかった。そのツケが今回、事故を大きくした。彼等の責任は実に大きい。

2011年05月22日(日) 検証 福島原発(24)
     ◇総括(2)

 政府の唱える原発の「安全神話」を信じて、原発で町おこし、と言う意識があったろうし、何より原発立地で下りる巨額な現金の魅力に負けたのである。それに原発や関連企業への就職の道も開けることも魅力だった。
 決め手は、東電からの漁業補償金、政府からの「電源立地地域対策交付金」と「核燃料税」というゼニの魅力だった。原発建設後、公民館、図書館などハコモノづくりで住民は満足し、「もしや」などは頭になかった。
 何故、首都圏から遠く離れた福島県に原発立地を決めたのだろう。地価が安く入手しやすいのも選んだ基準であろう。しかし、何と言っても原発の事故が発生した場合、「首都から離れた」場所を選んだはずだ。
 政府は「原発は安全である」と表面は唱えても、「首都汚染」を避けて選んだ、というのが本音だろう。千葉、茨城県を越えて福島県を、になったはずだ。

2011年05月21日(土) 検証 福島原発(23)
     ◇総括(1)

     地元が原発誘致を決議 
          核燃料が溶融、安全神話崩壊

 小史で、地元大熊町と双葉町の町議会は1961年9月、原発誘致を決議していたことが判明した。「原発いらっしゃい」というのだから恐れ入る。それ以前の59年5月に福島県が原発建設地として双葉郡大熊、双葉地区を最適と確認していた。当時の知事は佐藤善一郎氏だ。
 適地とした理由は、浜通りで民家も多くなく、漁業補償も少なくて済む計算があったはずだ。福島県、地元が一体となって原発誘致に動いたことになる。国策とはいえ、原発の危険性を考えなかったのだろうか。
 今回の事故から2か月経った5月12日、福島第一原発1号機の核燃料炉心が溶融(メルトダウン)し、圧力容器にも穴が開いて高濃度汚染水が漏れている最悪の状態に向かっていることが判明した。

2011年05月20日(金) 検証 福島原発(22)
◇原発小史(最終回)
11年 05月15日

東電は、福島第一原発3号機の原子炉で再臨界が起きないよう、原子炉の冷却水に、中性子線を吸収するホウ酸を注入した。再臨界は連続的な核分裂が再び起る現象。

16日 第一原発2、3号機でもメルトダウンがあり得るー細野豪志・首相補佐官。
17日 東電は福島第一原発の事故収束に向けた新たな工程を発表。来年1月までとした安定化の目標時期は変えないが、1号機のメルトダウン(炉心溶融)を受け、格納容器の冠水(水棺)を断念して循環注水冷却に切り替える。
    (5月17日現在)

 本日で原発小史は一旦終了し、明日から総括をスタートさせる。安全神話を信じて「原発いらっしゃい」だった地元ーーー。振り返れば矛盾だらけの福島原発ではある。「フクシマ」は地図上から消え去ろうとしている。

2011年05月19日(木) 検証 福島原発(21)
◇原発小史(20)
11年 05月13日

岩手県滝沢村牧草からセシウム検出。福島より北で初。
福島県北塩原村の檜原湖のワカサギ、いわき市鮫川のアユからセシウム検出。県内の福島、郡山市内の小学校校庭の土壌からもセシウムが。空、海、湖、野菜、牧草、魚などに影響が出始めている。

同 日 第一原発で、放射能廃棄物を処理する集中環境施設内で作業中の東電協力企業の60歳代の男性が死亡。復旧作業中の死亡事故は初。
14日 第一原発2、3号機でも1号機と同じメルトダウン(核燃料全体の溶解)の可能性がーと東電発表。
15日 福島原発事故で計画的避難区域の飯館村と川俣町山木屋地区で、住民の第一陣避難が始まった。
2011年05月18日(水) 検証 福島原発(20)
◇原発小史(19)
11年 05月11日

天皇、皇后両陛下、福島県を訪問され、福島市と相馬市内の避難所にいる原発からの被災者を激励される。
 第一原発3号機の立て抗から基準値の62万倍のセシウムなどを含む高濃度の汚染水が流出。300km離れた神奈川県南足柄市の茶場から暫定基準値を超えたセシウムを検出。同県では業者に出荷自粛を要請。茨城、群馬、栃木、埼玉、千葉県の牧草からも検出。放射能は海、空を汚染している。

12日 第一原発1号機で、原子炉内の核燃料炉心が溶融(メルトダウン)していることが判明。圧力容器底部に穴が開き、1万トンの水が格納容器に漏れているーと東電が発表。
2011年05月17日(火) 検証 福島原発(19)
◇原発小史(18)
11年 05月09日 日本原子力発電は敦賀原発2号機(福井県敦賀市)の一次冷却水中で濃度が上昇していた放射性物質を除去する際、原子炉建屋外に微量の放射性物質が漏れた、と発表。漏れた量は約41億ベクレルで、同原発から漏れ出す年間許容量の約40万分の1。周辺環境に影響はないと。
05月10日 福島第一原発から半径20キロ圏内の警戒区域に指定されている川内村で住民の一時帰宅が行われた。対象9市町村の第一弾で、92人が防護服に身を包んで懐かしいわが家に2時間、滞在した。
同  日 東電は第一原発事故の被害者への損害賠償について政府に支援を要請した。同時に社長ら取締役全員の報酬返上など追加のリストラ策を報告。
同  日 菅首相は記者会見で、2030年の総発電量のうち50%を原子力と想定した従来のエネルギー基本計画を見直し、太陽光、風力発電など自然エネルギーと省エネ生活の実現の2本立てとする、と発表。
2011年05月16日(月) 検証 福島原発(18)
◇原発小史(17)
11年 05月06日 福島第一原発1号機の原子炉建屋に作業員13人が、3月12日の水素爆発以来初めて入る。放射能物質に汚染された建屋内の空気の浄化システムを稼動させた。
同  日 菅首相は緊急記者会見で、中部電力に対して浜岡原発(静岡県御前崎市)のすべての原子炉の運転中止を要請と発表。30年以内に87%の確立で発生すると予想されるM8クラスの東海地震の震源域の真上にあり、地震対策や津波対策が不十分と判断した。同原発は1、2号機は廢炉が決定して運転を終え、3号機は定期点検のため運転停止中。4、5号機が稼動している。
05月09日 中部電力の水野明久社長は、浜岡原発4、5号機の運転停止、(定期点検中の)3号機の運転再開停止を発表。4号機は13日に、5号機は14日運転停止。
同  日 日本経団連の米倉弘昌会長は、菅首相が中部電力浜岡原発の運転中止要請について「思考の過程がブラックボックスだ」と述べ、政府での対応過程を明らかにしないまま停止を要請したことを「政治的なパフォーマンスだ」と批判。
2011年05月15日(日) 検証 福島原発(17)
◇原発小史(16)
11年 05月03日 福島第一原発の20キロ圏内にある「警戒区域」8市町村で、関係者による一時避難の予行演習。「防護服が暑過ぎる」などの問題点浮上。
05月04日 菅首相は第一原発のある双葉町の町民が避難している埼玉県加須市の避難所を訪れ、町民の一時帰宅の可否や時機を「年明けに判断する」と。東電の清水正孝社長は浪江町民が避難生活を送る二本松市の避難所を訪れて謝罪。「原発は安全だとい言い切ってきたのはウソだったのか」と詰め寄る町民に清水社長は土下座。
同  日 国内最多14基の原発を抱える福井県の西川一誠知事は、定期点検中の関西電力美浜原発1号機など4基について、「国が原発の暫定的な安全基準を示せないなら運転再開は認められない」。
     ◇   ◇   ◇

北海道黒松内町の読者から、会津藩士の蝦夷地移住についての貴重な史料が送られて来た。同町に住むKさんで、「会津藩士は余市町だけに移住したのではありません。きちっと書いて下さい」。多謝

2011年05月14日(土) 検証 福島原発(16)
◇原発小史(15)
11年 04月27日 国の中央防災会議は防災基本計画を見直し、津波災害の対策強化を決定。海溝型大型地震の東海、東南海、南海地震が同時に起る「三連動地震」について津波被害規模の見直しをする。
同  日 原子力安全委員会の斑目春樹委員長は衆議院決算行政監視委で、福島原発事故発生後、原子力安全の専門家の派遣が遅れたことについて「本当に失敗だったと反省しています」
04月28日 福島県浪江町議会は東電に対し、福島第一原発7、8号機増設計画の撤回を要求、東電は計画見直しへ。
同  日 中部電力は定期点検中の浜岡原発3号機について7月にも運転再開の見通しを示したが、静岡県の川勝平太知事は「ハード面、ソフト面とも東日本大震災を受けての対応ができていない。再開は極めて難しい」と運転再開を認めない方針。
04月29日 衆議院予算委員会で民主党の渡部恒三議員は「福島原発の電力は全部、首都圏に送っている。40年間協力して来たのは国策だからだ」。菅首相は「国の責任で処理にあたります」
2011年05月13日(金) 検証 福島原発(15)
◇原発小史(14)
11年 04月23日 東電の清水正孝社長は、始めて原発からの被災者が避難している郡山市の被災所を訪問。頭を下げる清水社長に、川内村の住民は「原発を東京へ持って帰って」。
24日 「脱原発」を掲げた住民5000人が東京都心をデモ行進、東電本店前で抗議。
25日 自衛隊は、岩手、宮城、福島県の沿岸部で3度目の行方不明者捜索。二万4千8百人動員、第一原発半径20キロ圏内で初。
26日 原発事故で風評被害に遭っている福島、茨城県などの農家、酪農家代表が東電本店に抗議し、事故の早期収束と損害賠償を求める。「警戒区域」内には55万頭の牛豚が取り残され、「子供と同じだ。どうにかしろ」。
同日 チェルノブイリ原発事故から25年の追悼行事。いまだ放射能汚染は続き、半径30キロ以内は住居が制限され、50キロ圏内で、日本のNPOが菜種、ヒマワリを植えて土壌改良。
2011年05月12日(木) 検証 福島原発(14)
◇原発小史(13)
11年 04月22日 政府は原発から半径20キロ圏内を原則として立ち入り禁止とする「警戒区域」に指定。命令違反には罰金10万円などの罰則規定。20キロ以外の5町村は「計画的避難区域」に指定し、1か月をメドに避難。
◇福島原発から高濃度の汚染水が流出した量は、4月1日〜6日で総量520トン、放射性物質は4700テラ・ベクレルと東電が公表。1年間で認められている放出量の2万倍。
政府は、20〜30キロ圏内のうち川内村、広野町など5市町村を緊急時に屋内退避や圏外避難できる準備を求める「緊急時避難準備区域」に設定。
2011年05月10日(火) 検証 福島原発(13)
◇原発小史(12)
11年 03月14日 東電管内で計画停電(都内23区は除く)3月28日まで
04月11日 政府は「東日本大震災復興構想会議」を発足させた。メンバーは宗教学者、作家、脚本家、知事などで官僚OBは含まれず
04月12日 経産省原子力安全・保安院は第一原発事故の深刻度を最悪の「7」(深刻な事故)に引き上げる。1986年のチェルノブイリ原発の原子炉爆発事故と同じ深刻度
04月17日 東電は原発安定化に向けた工程表を発表。水素爆発を避け放射能物質を高濃度に含んだ汚染水を敷地外に出さないーことを重点に6〜9か月で取り組む
04月18日 福島原発から漏れた放射能物質が南半球のオーストラリア、フィジーで検出。体に影響はないが、福島原発からの放射能物質は一か月で地球全体を汚染
2011年05月09日(月) 検証 福島原発(12)
◇原発小史(11)
11年 03月11日 政府は原子力災害対策特別措置法に基づく原子力緊急事態を宣言
03月15日 東電は、地域ごとに停電を行う計画停電実施
04月05日 地震、津波、原発事故が重なって原発から放射能漏れ、汚染水流出で大気、海が汚染。原発から半径20キロ圏内を「避難指示区域」、30キロ圏内を「屋内退避区域」に設定。避難指示区域に7〜8万人、屋内退避区域に14万人
04月07日 東京の各国大使館は原発事故による放射能汚染警戒感から業務の拠点を関西に移転したり、一時閉鎖。7日までに37カ国が大使館の一時弊さや移転。うち20カ国は東京での業務を再開したが、5日時点で12カ国が移転
04月11日 政府は、原発から半径20キロ圏外の5市町村を「計画的避難区域」に設定、一か月をメドに避難
2011年05月08日(日) 検証 福島原発(11)
◇原発小史(10)
89年 03月08日 楢葉町議会は福島原発の安全確保要望を可決
03月15日 浪江町議会も同上
03月23日 那須・東電社長が双葉郡の4町を訪問、事故を陳謝
04月01日 福島県に原子力安全対策課新設
04月03日 相双地方町村会は東電に対し、原発の安全確保強化について要望書提出
04月10日 県原子力懇談会は、原発の安全確保の徹底を国と東電に要望
06月04日 第二原発2号機で冷却水漏れ、原子炉停止
06年(平成18年)
01月01日 原町市、広野町、小高町が合併し、「南相馬市」誕生
11年(平成23年)
03月11日 東日本大震災。地震と同時に大津波発生。
03月12日 第一原発2号機、水素爆発
03月14日 同上3号機水素爆発
03月15日 同上4号機火災
2011年05月07日(土) 検証 福島原発(10)
◇原発小史(9)
88年 04月23日 福島県中心に東日本でM6.5の地震。白河震度5。第一原発 3号機が自動停止。
08月25日 第二原発4号機営業運転開始
(第一、第二原発併せて10基すべて運転開始。総出力量909万6000KWで日本一の原発県に。その後、関西電力美浜原発など14基を抱える福井県が日本一に)
89年(平成元年)
01月07日 昭和天皇崩御。
02月03日 第二原発3号機の再循環ポンプの部品が破損して運転停止。前例のない事故。
02月23日 県議会は、同上事故で東電から事情聴取、安全対策を要望。
02月28日 同上事故で3号機炉辺に多数の金属片発見、精密検査。運転再開大幅遅れ。
2011年05月06日(金) 検証 福島原発(9)
◇原発小史(8)
82年 04月20日 双葉郡富岡、楢葉町の福島第二原発1号機が営業運転開始
83年 06月23日 第二原発2、3号機が試運転開始
84年 07月23日 福島地裁は東電福島第一原発周辺住民が国を相手に原子炉設置許可処分の取り消しを求めた福島原発訴訟で、許可処分は国の裁量に属するーとして原告の請求を棄却
85年 06月21日

福島第二原発3号機営業運転開始
 (第一、第二原発併せて総出力量799万KWとなり、日本一の原発県に)

86年 04月30日 ソ連のチェルノブイリ原発爆発事故に関連し、福島県と双葉、大熊、富岡、楢葉町は東電に対して「原発の、より一層の安全確認を申し入れ
05月04日 同上事故で福島県内の雨、ちり、野菜から放射能を検出
2011年05月05日(木) 検証 福島原発(8)
◇原発小史(7)
79年 03月 アメリカスリーマイル島原発事故
05月09日 福島第一原発6号機、試運転開始
10月24日

同上営業運転開始
(福島に計画の第一原発6機すべて完成。世界最大規模)
第二次石油危機で省エネ運動

80年 02月14日

東電福島第二原発(富岡町、楢葉町)3、4号機増設の公開ヒアリングが福島市で開かれ、増設を認める意見が多数

04月18日 東電、広野火力発電所1号機、営業運転開始
08月05日 通産省、福島第二原発3、4号機増設を許可
08月10日 福島県は防災会議に原子力部会を新設
10月01日 福島県の人口203万人(200万人台を回復)
12月01日 第二原発3、4号機着工
2011年05月04日(水) 検証 福島原発(7)
◇原発小史(6)
76年 03月27日 大熊町の第一原発3号基、営業運転開始
08月01日 木村守江知事、県庁汚職の政治責任をとり辞表提出
08月06日

木村知事、政治献金として現金授受を認め、収賄容疑で逮捕される。木村県政4期途中の12年2か月で終止符

10月09日

常磐炭鉱、93年の歴史を閉じる

77年 03月15日 電源開発審議会が福島第二原発3号機建設を政府に答申
09月12日 福島原子力懇談会が発足。講演会、セミナー、施設見学など県民の理解を深める目的
09月22日 福島第一原発5号機、試運転開始
78年 07月14日 電源開発審議会は福島第二原発4号機の着工を決定
10月12日 福島第一原発4号機、営業運転開始
12月18日 仙台高裁、県庁汚職の木村前知事に懲役1年6月、執行猶予5年の有罪判決。木村被告は控訴断念、刑が確定
2011年05月03日(火) 検証 福島原発(6)
◇原発小史(5)
73年 10月04日 小高町、東北電力の浪江原発誘致を決議(が、原発は宮城県女川町に)
74年 02月18日 原子力審議会は「福島第二原発1号炉は安全」と結論。
04月27日

原子力安全委員会は福島第二原発の設置を答申

07月18日

福島第一原発2号機が営業運転。出力78万KW

75年 03月17日 電源開発調整審議会は福島第二原発2号機の建設を決定
05月27日 木村知事、全国知事会会長に就任
08月20日 県原子力センター、大熊町に設置。相双地区の原発基地建設用地周辺で放射能を調査
10月01日 福島県の人口197万人
76年 02月20日 県は原発周辺の放射能は影響なし、と測定結果を発表
03月22日 原発の安全確保のため大熊、双葉、富岡、楢葉の周辺4町と福島県、東電の三者協定に調印
2011年05月02日(月) 検証 福島原発(5)
◇原発小史(4)
68年 01月01日 東電は福島原発建設事務所を設置。
02月13日

大熊町の東電福島原発建設に伴う漁業補償金1億円決定。

08月16日

大熊町の東電福島原発1号機定礎式。

70年(45年)

07月05日 1号機が臨界に達し、「原子の火」が灯る。
71年 03月26日 1号機営業運転。出力46万KWで日本一。
04月28日 常磐炭鉱磐城鉱業所閉山式(西部鉱業所のみに)
73年 02月19日 県と東電は、原発の安全確保新協定に調印。県の立ち入り調査権を認める。
09月18日 わが国初の福島第二原発1号機設置に係わる公聴会が福島市で開かれる。会場周辺に社会党、総評など原発反対派が押し掛け、国道4号線マヒ。
2011年05月01日(日) 検証 福島原発(4)
◇原発小史(3)
64年 11月27日 東電、大熊町、双葉町に160万平方メートルの原発用地を取得。 
12月01日

東電は大熊町に原発福島調査所を設置、地質、気候、水脈などの基本調査スタート。

66年(同40年)

11月10日 日本原電東海原発、初の営業用原発として運転開始。
67年 10月01日 磐城地方の14市町村が合併し、「いわき市」が誕生。
12月01日 佐藤栄作総理大臣は福島原発1号機原子炉の設置許可
12月23日 東電と請戸漁業組合ほか9組合との漁業権損失補償協定締結
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