小荒井武次郎(文久元年7月生まれ) 29歳 佐藤 〇〇(安政3年6月生まれ) 34歳 以上2人 (大町の南に折れて西は大和町に至る東西2町32間=280メートル=戸数40戸。昔、3階建ての楼があったので、楼之町ともいわれたが、韻が似ているので老(ろう)町と呼ぶようになった。旧家の林家があった。中町に) ◇ ◇ ◇ 明珍家について。七日町の明珍佐内で思い出したが、明珍家というのは、室町時代から続く甲冑師である。全国的に多くの史料にも載っているが、會津の明珍家については、『若松市史』下巻(昭和17年発行)の151ページに系図があり、江戸時代末期に今田安信という人物が制作にあたり、維新後は当麻中町に住すーとある。空小札の制作は會津の特有と記載されている。 明治30年ごろ、安信没してその傳絶つーとあるが、明治23年の藩士名では、七日町に佐内がおり、当麻中町を探すと、「今田萬橋(文政10年3月生まれ)」があるだけ。 安信は見当たらない。歴史の史料というのは、いい加減なものがあるのが分かる。