会津の歴史
河野十四生の歴史ワールド
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・2011年
3月7日〜12年4月26日
 歴史小説鶴ヶ城物語
4月28日〜6月4日
 検証 福島原発
・2012年
4月27日〜5月9日
 日本の電気事業
5月10日〜6月1日
 家訓15か条と什の誓い
6月2日〜6月21日
 靖国神社と会津藩士
6月22日〜7月3日
 江戸湾を守る
7月4日〜11月9日
 軍都・若松
11月10日〜12月17日
 昭和天皇
12月18日〜12月27日
 新島八重
12月29日〜13年2月19日
 論語
・2013年
2月21日〜6月1日
 北越戊辰戦争
6月4日〜8月26日
 幕末維新に燃えた會津の女たち
8月27日(上、中、下)
 奥羽越列藩同盟
8月30日〜11月17日
 箱館戦争
11月20日〜14年2月19日
 若松町役場の会津藩士
・2014年
2月20日〜3月4日
 幕末、木更津は会津藩領だった
3月5日〜3月12日
 木更津異聞
3月13日〜4月23日
 若松町役場の会津藩士
4月24日〜5月10日
 竹島問題
5月11日〜6月27日
 若松町役場の会津藩士
6月28日〜7月7日
 般若心経
7月9日〜7月16日
 尖閣諸島
7月17日〜8月20日
 會津藩士の蝦夷地移住(上)
8月21日〜12月8日
 會津蕃大窪山墓地に
   眠る藩士たち
12月9日〜15年2月18日
 會津藩士の蝦夷地移住(下)
・2015年
2月19日〜2月22日
 近藤勇の首
2月23日〜6月14日
 幕末の剣豪 森要蔵
6月15日〜7月17日
 日本女帝物語
7月18日〜11月20日
 戦国武将便覧
11月21日〜12月15日
 不撓不屈の武士・柴五郎
 第1章
12月16日〜12月19日
 會津身不知柿
12月20日〜16年6月13日
 不撓不屈の武士・柴五郎
 第2章〜第10章(最終章)
・2016年
6月14日〜6月30日
 会津の間諜 神戸岩蔵
7月2日〜7月23日
 奥羽越列藩同盟
2013年01月31日(木) 閑話
 早いもので今日で1月も終り。恵方巻とかいう関西風の巻き物の予約注文が目立ってきた。酷寒の季節も過ぎようとしている。無事に過ごしたことに感謝しよう。
 ところで、郷里・会津若松市の東山温泉で一言。今は大熊町からの原発被災住民の避難先になっており、1日5000円で潤っており、かろうじて休眠状態の旅館は冬を乗り切ったようだ。
 東山温泉は1、2軒を除いて疲弊しており、閑古鳥が泣いている。温泉の湯量が少なく、源泉掛け流しなど遠く及ばない。区長時代、新年会をやった旅館では、継ぎはぎの浴衣に使い古した手拭いを出され、嫌な気分になったのを思い出す。
 石川県七尾市の旅館「加賀屋」の女将はおもてなし日本一の呼び声高い名物女将だ。「心から寛いでもらう」をモットーに、「お客さまを思いやる」心を従業員に説く。身体が不自由であれば入浴の手伝いを申し出たり、子供連れの客には子供好きな客室係を充てるなど、細かな配慮が自慢だ。
 また、ふすまの開け閉めの作法から料理の運び方、着付けまで徹底して教育している。日本独特の温泉旅館はこうあるべきーの見本だ。2010年には台湾に和風旅館「日勝生 加賀屋」をオープンさせた。「日本文化の素晴らしさを実感できる」と評判は上々だ。
2013年01月30日(水) 論語(31)
 子曰、「君子欲訥於言而敏於行」
 読みは、子曰わく、「君子は言(ことば)に訥(とつ)にして、行いに敏ならんと欲す」
 意味は、先生が言った。「学徳共に優れた君子は、口下手ではあるが、実践においては、素早く対応したいと思うものだ」と。
     ◇   ◇   ◇
 安倍内閣の新年度予算を話し合う国会で論戦が始まった。安倍首相が経済再生の為の3本の柱と位置付けているのが、大胆な金融緩和、機動的な財政政策、民間投資を換気する成長戦略だが、だ、何も決まっていない段階で、市場は好感を持ち、円安が進んで輸出産業を中心に株価が一万円を回復した。
 政治家の発する情報は、大きな影響力を発する。民主党政権では考えられない効果だ。
 安倍首相は口上手とはいえないが、それにしても、である。この効果に満足することなく、更に経済再生のため、実践で対応してもらいたいものだ。
 大震災と原発事故からの復興を加速させるため、福島復興再生総局を2月1日に発足させるのは、そのいい例だ。期待したい。
2013年01月29日(火) 論語(30)
 子曰、「人之生也直。罔之生也、幸而免」
 子曰、「知之者不如好之者。好之者不如楽之者」
 読みは、士曰わく、「人の生くるや直し。之を罔(し)いて生くるや、幸いにして免るるなり」
 子曰わく、「之を知る者は、之を好む者に如(し)かず。之を好む者は、之を楽しむ者に如かず」
 意味は、先生が言った。「人が生きていられるのは正直だからである。もしも不正直な人が生きていられるとすれば、それはまさに偶然の幸いで、不幸から免れて生きているに過ぎない」と。
 先生が言った。「学問でも仕事でも、道徳でも、それを単に理解しているだけの者は、それ実行する者には及ばない。しかし、それを進んで実行する者もそれを楽しんで実行する者には及ばないものだ」と。
2013年01月28日(月) 論語(29)
 子曰、「士志於道爾恥悪衣悪食者、未足与議也」
 読みは、子曰わく、「士(し)道に志して、悪衣(あくい)悪食を恥ずる者は、未だ与(とも)に議(はか)るに足らざるなり」
 意味は、先生が言った。「道徳の修業に志す人たる者が、その修業に志しながら着衣や食物の粗末さを恥ずかしいと思うようでは、まだまだ共に語る資格はない」と。
      ◇   ◇   ◇
 元巨人投手の桑田真澄が東京大学野球部の特別コーチとなった、と報道。明るい話題で楽しい。東京6大学で目下、東大は46連敗中とか。
 スピードだけが投手の生命ではなく、「120キロでも回転が良いと打たれない」と持論を披露、投球フォームなどを交えて講義した。「スポーツは勝たないと楽しくないので、勝つ楽しみを味わって欲しい」と激励した。
2013年01月27日(日) 論語(28)
 子曰、「唯仁者能好人、能悪人」
 読みは、子曰わく、「唯(ただ)仁者(じんしゃ)のみ能(よ)く人を好み、能く人を悪(にく)む」
 意味は、先生が言った。「ただ人間愛を持つ者だけが、私心がないから本当に公平に人を愛する事が出来れば、公平に人を憎む事もできる」と。
      ◇   ◇   ◇
 またまた大河ドラマの話だが、読売新聞に「ならぬことはならぬ」の什の掟について読者の意見が載っている。他人を思いやらず、「なんでもあり」の風評が強くなっている昨今の現実に対して、会津藩の教えは厳しくも的を得ている、との意見のようだ。
 筆者は千葉県内の中学校で講演する際、必ず「什の掟」を全員で唱えてもらう。9歳から10歳の藩士の子弟が10人ほどで「什」の仲間を作り、遊びの掟としての決まり事であった。
 いじめや体罰など、現在の学校生活で問題になっていることに対して警鐘と言えるだろう。そんな会津藩の教えが広く波及して欲しい。この掟を守れば、問題は起きようがない。
2013年01月26日(土) 論語(27)
 子曰、「事君盡礼、人以為諂也」
 読みは、子曰わく、「君に事(つか)うるに礼を盡(つく)せば、人以(もっ)て諂(へつら)えりと為すなり」
 意味は、先生が言われた。「君主にお仕えして当然の事として礼を尽すと、世間の人は、それを諂いだと言う。本当に困ったものだ」と。
      ◇   ◇   ◇
 先日、新島八重の話が載っている『会津人群像』22号を千葉市立中央図書館と千草台公民館の図書室に寄贈した。大河ドラマを盛り上げたいと千葉からの応援だ。
 小生も、明治23年(1890)当時の若松町在住の旧会津藩士の名前894名を書いている。千葉市民には理解出来ないだろうが、会津の関係者にとっては、貴重な史料なのである。閲覧棚を覗いたら、早速貸し出し中だった。八重の人気だろうなあ。
2013年01月25日(金) 論語(26)
 子曰、「非其鬼而祭之諂也、見義不為無勇也」
 読みは、子曰わく、「其の鬼(き)に非(あら)ずして之を祭るは諂(へつらい)なり。義を見て為さざるは、勇(ゆう)無きなり」
 意味は、先生が言った。「自分の祭るべき先祖の霊が無いのに祭るのは、へつらう事になる。また、人として当然なさねばならない正義と知りながら他人の前を憚り、自分の利害のみをはかって、実行しないのは真の勇気がないからである」と。
      ◇   ◇   ◇
 アルジェリア人質事件で、犠牲になった日揮の社員9人の遺体と、助かった7人が本日早朝、政府専用機で羽田に帰国した。発展途上国で開発に従事する企業戦士たちの犠牲で、やりきれない気持だ。
 新聞には出ていないが、情報によると、同社の最高責任者とBP副社長(共に死亡)を狙った身代金目的の誘拐事件だった、という。一人200万ドルを要求していたらしい、他の人たちはダミーだったとか。
 昨日のラジオで青山繁晴とかいう、元共同通信記者が自慢げに解説していた。アフガンから西では誘拐ビジネスが流行しているとも。
2013年01月24日(木) 論語(25)
 子曰、「古者言之不出、恥躬之不逮也」
 読みは、子曰わく、「古者(いにしえ)言(ことば)を之れ出(いだ)さざるは、躬(み)の逮(およばざるを恥ずればなり」
 意味は、先生が言った。「古の人が軽々しく言葉を口に出さなかったのは、自分の行為が言葉に伴わないのを恥じとしたからである」と。
2013年01月23日(水) 論語(24)
 子曰、「父母之年不可不知也。一則以喜、一則以懼」
 読みは、子曰わく、「父母の年は、知らざる可(べ)からざるなり。一(いつ)は則ち以(もっ)て喜び、一は則ち以て懼(おそ)る」
 意味は、先生が言った。「父母の年齢は、知っていなければいけない。一方では、父母の長生きを喜び、一方では、生い先の短い事をおそれて、いよいよ孝養に励まなければならないのだ」と。
      ◇   ◇   ◇
 父母の孝養といえば、思い出す事がある。両親が金婚式を迎えた際、浅草のビューホテルに都内、会津若松市、山梨から親戚に集まってもらい、金婚式を催した。
 最高級の懐石料理に、泊まり掛けで派手にやった。檜風呂にのんびり入り、翌日は、四国旅行に。河野水軍の根拠地・伊予国の松山を振り出しに、観光地を2泊3日で廻ってもらった。羽田に送り、小遣いに10万円を持たせて。
 おまけにホテルからホテルへは観光タクシーで廻る豪勢な旅行だ。足の不自由だった親父の為だが、二人は感激したようで、会津へ戻ってから知り合いに、「よかった」「嬉しかった」と吹聴し、うらやましがられた。
 費用は兄弟3人で負担した。今では考えられないなあ。
2013年01月22日(火) 論語(23)
 子曰、「君子喩於義、小人喩於利」
読みは、子曰わく、「君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩る」
意味は、先生が言った。「学徳共に優れた君子といわれる人物は、道理に叶った正しい事に敏感であり、学徳のない器小なる小人は利益に敏感である」と。
      ◇   ◇   ◇
 直接、関係はないが、江戸時代、尾張徳川家の話である。9代藩主徳川宗睦は藩財政が逼迫した天明年間に、財政改革に積極的に取り組んだ。
 広大な尾張藩領を十余りの地区に分け、地区ごとに代官を配置して迅速に事件の解決にあたらせ、さらに年貢増収のため治水工事や新田開発にあたった。
 この改革の特徴は、「地方巧者」といわれる下級武士を積極的に登用して彼等に希望を与えたことである。
 世襲制度の世の中にあって、旧来の風習を破ることは大変なことであったろう。名君といわれる所以である。が、今の自民党・安倍首相にも見習って欲しい。先の見えないデフレを吹き飛ばし、明るい未来の姿を国民に示せ!!
2013年01月21日(月) 論語(22)
 哀公問曰、「何為則民服」
 孔子対曰、「挙直錯諸枉、則民服。挙枉錯諸直、則民不服」
 読みは、哀公問うて曰(い)わく、「何を為さば則ち民服くせん」
 孔子対(こた)えて曰(のたま)わく、「直(なお)きを挙げて、諸(これ)を枉(まが)れるに錯(お)けば則ち民服す。枉(まが)れるを挙げて諸(これ)直きに錯(お)けば則ち民服せず」
 意味は、魯の君主である哀公が問うた。「どうしたら、人民が服従するだろうか」
 先生は答えられた。「正しい人を登用して不正な人の上役に配置すれば、人民は承服してこれに従う。反対に、よこしまな小人を登用して、多くの正直者が馬鹿をみるようでは、人民は心服するまい」と。
2013年01月20日(日) 論語(21)
 子曰、「学而不思則罔、思而不学則殆」
 読みは、子曰わく、「学びて思わざれば則ち罔(くら)く、思うて学ばざれば、則ち殆(あやう)し」
 意味は、先生が言った。「見たり、聞いたりして他から学んだものの、その学んだ事を自分なりに考えなかったら、その知識は確かなものにならない。逆に、他から学ぶ事をせず、ただ自分だけで思考するならば、独断に陥る危険性がある」と。
      ◇   ◇   ◇
 大河ドラマ「八重の桜」は本日が第3回目だ。そろそろ照姫が登場するだろう。御存知、照姫は上総(千葉県富津市)・飯野藩保科家8代正丕(まさもと)の息女だ。天保18年(1842)、会津藩8代藩主松平容敬の養女となり、中津藩(大分県)10万石、奥平昌服(まさゆき)に嫁いだが、間もなく離縁され、会津藩の江戸引き揚げ(慶応4年1月)と共に会津に戻っていた。時に37歳。
 美濃・高須藩から容敬の養子になった9代松平容保にとって義姉にあたる。飯野藩は2万石の小藩のため城は持たず、富津市下飯野に陣屋を構えており、富津市民にとっても因縁は深い。
 だが、残念ながら、富津市民の会津に対する関心は、それほど高いとはいえない。毎年6月に会津藩士の慰霊祭を現地で行っているのに〜である。
 それだけに大河ドラマをきっかけに、今一度、目を会津に向けて欲しいものだ。
2013年01月19日(土) 論語(20)
 子曰、「人而無信、不知其可也」
読みは、子曰わく、「人にして信無くんば、其の可なるを知らざるなり」
意味は、先生が言った。「約束を守らない人間は、一人前の社会人として評価に値しない。何の役にも立たないものだ」と。
      ◇   ◇   ◇
 大河ドラマ「八重の桜」は滑り出しが上々だ。悦ばしい。おまけに八重に関する本がいろいろ出版されたり、ラジオでは、文化放送が毎朝8時前、武田鉄也が、八重について、詳しく調べた内容をしゃべってくれている。
 月曜から金曜日まで連日放送しているので、かなり視聴率上昇に効果があるだろう。期待している。
2013年01月18日(金) 論語(19)
 子曰、「由、誨女知之乎。知之為知之、不知為不知。是知也」
読みは、子曰わく。「由(ゆう)、女(なんじ)に之を知るを誨(おし)えんか。之を知るを之を知ると為し、知るらざるを知らずと為す。是(こ)れ知るなり」
 意味は、先生が子路(由)に対して言った。「子路よ、そなたに『知る』とはどう言う事かを教えてあげよう。それは他でもない。知っている事は知っている、知らない事は知らないと、その限界をはっきり区別する事だ。それが『知る』という事なのだ」と。
      ◇   ◇   ◇
 最近は東京スカイツリーだけが人気を呼んでいるが、どっこい東京タワーも健在だ。先頃、文科省から登録有形文化財に指定されたのだ。昭和33年(1958)、テレビ各局の電波塔を集約するため建設された。自立式鉄塔としては当時、世界最高だった。
 当時は大学生で、父が建設主の前田久吉氏の参議院議員立候補を応援し、会津若松市の市議会の世話役だった事から、当選後、市議団一行と柳橋の料亭で芸者を上げてどんちゃん騒ぎをしたものだ。懐かしい。今なら、事後買収だろう。
 また木更津通信部時代は、家族4人で階段で見晴し台まで昇った記憶がある。40代で働き盛りだった。
2013年01月17日(木) 論語(18)
 子以四教。文・行・忠・信。
読みは、子、四(よつ)を以て教う。文・行・忠・信。
意味は、先生は主として四つのことを教えた。一つは読書、二つは実践、三つには誠実、そして四つには信義である。
       ◇   ◇  ◇
 今日は、阪神大震災から18年である。6434人が亡くなった。殆どの人は建物の下敷きになって亡くなった。兵庫県伊丹市の公園で6434本のローソクを灯して犠牲者の霊を弔った。
 対して、東北大震災では、死者15879人、行方不明者2700人と、阪神大震災の3倍の犠牲者がでており、いまだ行方不明者を探す家族もいる。犠牲者の数でその規模を表わしたくはないが、やはり今回の震災の大きさ、それに絶えることのない福島原発からの放射能の恐怖。
 以前にも書き込んだが、原発は元々は自民党が進めてきたものである。原発事故が発生した時が、不幸にも、政権担当能力のない民主党政権だっただけである。自民党は過去の「おとしまえ」をきっちりつけるしかあるまい。
2013年01月16日(水) 論語(17)
 子曰、「視其所以、観其所由、察其所安、人焉隠哉、人焉隠哉」
 読みは、子曰わく、「其の以(な)す所を視(み)、其の由る所を観(み)、其の安んずる所を観れば、人焉(いずく)んぞ隠さんや。人焉んぞ隠さんや」
 意味は、先生が言った。「その人が何をしようとしているかを大雑把に見るばかりでなく、その動機は何か、また目的は何か、そこまで突っ込んで観察しなさい。どの程度で満足するかをより一層詳しく調べてみると、誰も自分の本心を隠す事は出来ないものだ。そうすれば、どんな相手でも本性が見えて来る」と。
      ◇   ◇   ◇
 14日に降った雪は、千葉でも7〜8センチ積もった。本当に久し振りの大雪になった。一面真っ白。おまけに寒さも厳しく、一日中、寒さに震えていた。
 喜んだのは子供たち。家の前の公園で雪合戦したり、雪だるまを作ってはしゃいだり。「雪やこんこ、雪やこんこー」童謡の世界であった。
 寒さは今日まで引きづり、お陰で子供達が残雪で作った雪だるまの土台がポツンと一つ。寂しそうにマンションを眺めている。
2013年01月15日(火) 論語(16)
 子曰、「君子不器」
 子貢問君子、子曰、「先行、其言、而後従之」
 子曰、「君子周而不比、小人比而不周」
読みは
 子曰わく、「君子は器ならず」
 子貢、君子を問う。子曰く、「先ず行う、その言(ことば)は而(しか)る後に之に従う」
 子曰わく、「君子は周して比せず、小人は比して周せず」
意味は
 先生が言った。「器はすべて、ある目的の為の専用に作られるもの。しかしながら、学徳共に優れた君子と言われる人物は、ある一つの事だけの専門であってはならない」と。
 子貢が、どうすれば学徳共に優れた君子といわれる人物になれるかについて尋ねた。
 それに対して先生が答えた。「ある事について発言する前に、先ず実行がなければならぬ。言葉は、後からついて来るものだ。不言実行、それが君子なのだ」よ。
 先生が言った。「学徳優れた君子は、誰かれの差別なく広く交際して、派閥を作らない。これと反対に、学徳のない、器小なる小人は、その逆に派閥を作るが、広く交際しようとはしない」と。
2013年01月14日(月) 論語(15)
 子曰、「不患人之不己知、患己不知人也」
読みは、子曰わく、「人の己を知らざるを患(うれ)えず、人を知らざるを患うるなり」
 意味は、先生が言った。「他人が、自分を認めてくれないのは一向に気にしないが、それよりも、自分が、他人の真価を認めることができない事を、心すべきである」と。
      ◇   ◇   ◇
 「八重の桜」で、会津弁のシャワーを浴びている。「してくなんしょ」「なっからし」「(教えて)くなんしょ」「さすけね(大丈夫)」ー等々。懐かしい言葉である。今は、会津でも使わなくなった言葉もあるだろう。
 「教えてくなんしょ」は武家言葉で、町人は「教えてくんつぇ」であろう。昭和20年代の会津に戻った気分である。
 「おわいなんしょ(いらっしゃい)」など、現在は消えてしまった商人言葉は美しい響きさえある。イントネーションは京言葉に近いものがある。
 先頃、亡くなった会津会会長の川島広守さんに見せてあげたかった。彼は会津若松市の旧同心町出身と聞いた記憶がある。
2013年01月13日(日) 論語(14)
 子曰、「君子食無求飽、居無求安。敏於事而慎於言、就有道而正。可謂好学也己」
読みは、子曰わく、「君子は食(しょく)飽(あ)くを求むること無く、居安きを求むること無し。事に敏にして言に慎み、有道(ゆうとう)に就きて正す。学を好むと謂うべきのみ」
 意味は、先生が言った。「学問に志す君子は腹一杯食べることや、快適な家に住む事は求めない。そして、やらねばならぬ事は、素早く実行するが、言葉は慎重にし、道徳的に完成された先輩と相談して、自分の過ちを正して行く。こういう人こそ、学問好きといってよかろう」
      ◇   ◇   ◇
 佐川官兵衛顕彰会会員の熊本県の澤田さんから、「會」の旗が送られてきた。縦と横の旗が数枚ずつあり、お年玉だ。大河ドラマでも「會」の旗はひらめいており、今後の展開で、鳥羽・伏見の戦や鶴ヶ城での籠城戦で、多く登場するだろう。
 澤田さんは、猛烈な会津ファンで、熊本市にオープンする近代文学館へ会津関係の史料を提供したり、自宅に、この旗を飾るなど、まさに会津親善大使である。
 戴いた旗は、6月に行う会津藩士慰霊祭で、出席者に配って、さらに大河ドラマの盛り上げに一役買ってもらおう。
2013年01月12日(土) 論語(13)
 子曰、「吾十有五而志干学、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而従心所欲不踰矩」
 読みは、子曰わく、「吾(われ)十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳順(したが)い、七十にして心の欲(ほっ)する所に従えども、矩(のり)を踰(こ)えず」
 意味は、先生が言った。「私は15歳の時、学問によって身を立てようと決心した。30歳で自立の基礎を固めることができた。40歳になって自分の進む方向に確信が持てるようになった。50歳で、天から与えられた使命を自覚するに至った。60歳になって人の意見に耳を傾けられるようになった。そして70歳になると、欲望のままに振る舞っても、その行動が道徳から外れるようなことはなくなった」と。
      ◇   ◇   ◇
 本日の読売新聞13面で、特別編集委員の橋本五郎が、昨年12月8日、90歳で亡くなった川島広守さんを取り上げている。我が会津高校の大先輩で、長く会津会会長などを務めておられた。若い時は酷貧の生活の中、授業料が払えず、退学を考えたほどで、働きながら中央大学夜間部を卒業したが、忍耐の一字に支えられ、官僚トップの官房副長官に昇り詰め、プロ野球のコミッショナーも6年間務めた。
 「学ぶ心さえ失わなければ自然はもとより、歴史と人物はみな我が師である」を信条に、若い人たちには「言い訳は絶対にするな」と問い続けた。
 その川島さんの「お別れ会」が19日午後7時、ホテルオークラ東京で開かれる。ご冥福をお祈りする。合掌
2013年01月11日(金) 論語(12)
 子曰、「父母在不遠遊。遊必有方」
読みは、子曰わく、「父母在(いま)せば、遠く遊ばず。遊ぶこと必ず方あり」
 意味は、先生が言った。「親は子の身を非常に心配するものだから、父や母が存命中は、やむを得ない場合のほかは、あまり遠くには遊びに出かけないことだ。やむなく遠くへ行く時は、必ず行き先をはっきりさせておくべきである」と。
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 そういえば、筆者が小さかった時、遊びに出かける際、必ず父が「何処へ行く?」と尋ねてきたものだ。煩いなあーと思ったりもした記憶がある。しかし、論語の言う通り、親の心配は、かなりのものであったのだろう。
 それから、外での買い喰いは禁止で、金を持たせてくれなかった。これは会津藩時代の「什の掟」といえそうだ。厳しい躾が思い出される。今はどうだろう?
2013年01月10日(木) 十日市
 今日は、会津若松市に古くから伝わる十日市だ。大町通りから神明通りにかけて数百店の出店が並び、起き上がり小法師などの縁起物などを求めて近郷近在から多くの客が訪れ、終日、賑わった。
 十日市の歴史は古い。『会津風土記』によれば、至徳元年(1384)、葦名直盛が鎌倉幕府から、当時、黒川と言っていた会津の国守として三浦半島から移封し、郭内にあった大町で10日に市祭りを行ったのが始まりとされ、約630年の歴史がある。
 大町検断倉田家の屋上から米俵を落とし、それを南北で引き合って、南が勝てば其の年の米の値段が上がり、北が勝てば豊作になるといわれた。 
 その後、蒲生氏郷が秀吉の命で92万石で移封され、黒川の里を若松と命名し、鶴ヶ城を築城し、町割(城下町造り)をして現在の会津若松市の姿になった。
 氏郷は、大町の市を5、10日、馬場町は1、8日、三日町は3の日、六日町は6の日というように、町中が廻り市になっていて、毎日6か所のどこかで市が開かれていた(六斎市)。
十日市
会津の中学同級生I君が送ってくれた十日市の写真
2013年01月09日(水) 論語(11)
 子曰、「放於利而行、多怨」
読みは、子曰わく、「利に放(よ)りて行えば、怨み多し」
 意味は、先生が言った。「自分の利益ばかりを考えて行動したら、害を受ける者が出て人の怨みを受けることが多い。自分の利益になるものは、他人には不利益になることが多いからである」と。
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 本日は文化度について考えてみたい。国技大相撲初場所が13日に開幕する。東京・国技館で、華々しい大相撲が展開されることを願う。今場所は、新横綱だった九州場所で9勝6敗の不成績だった横綱日馬富士の奮起を促したい。
 この相撲界には、モンゴルはじめ、外国出身の関取が多いが、すべて綺麗な日本語で受け答えしている。「ごっつあんです」「一日一番」などなど。
 ところが、外国選手では野球界の方が古くから来日しているが、言葉はカタコトがやっとだ。「どもありがと」「アリガトゴザイマス」という有様。
 その差はどこから来るのか? 相撲では、若い時から各部屋で生活を共にし、24時間、日本語に漬かっている結果、日本語を自由に使えるようになる。
 これに対して野球は、主にアメリカからの出稼ぎであり、腰掛けに過ぎないため、片言の日本語で間に合わせているのだ。
 これが国技と言われる相撲と、アメリカからの輸入である野球との文化度の違いなのだ。
2013年01月08日(火) 論語(10)
 子曰、「朝聞道、夕死可矣」
読みは、子曰(のたま)わく、「朝(あした)に道を聞けば、夕(ゆうべ)に死すとも可なり」
 意味は、先生が言った。「その日の朝、人間として当然行わなければならない道を聞いて悟り得たとしたら、仮に、その日の夕方に死んだとしても心残りはない」と。
 まさに聖人君子の道を説いているが、この通りに悟りを開くことができたら、人間社会で紛争などは起こりようもないだろう。孔子の素晴らしさである。
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 スタートした「八重の桜」に合わせて、イオングループが物産、観光などで会津を全面支援するという。10日から、全国のイオングループ10店で「桜咲く!会津フェスタ2013」を展開するそうだ。
 会津名産品の物販だけでなく、観光もPRしてくれる。会津の魅力を全国に発信して、原発の風評被害に悩む会津を復興させ、ひいては東北地方の復活、復興に役立って欲しい。
2013年01月07日(月) 論語(9)
 子曰、「郷原徳之賊也」
読みは、子曰わく、「郷原は徳の賊なり」
 意味は、先生が言った。「いわゆる、村での人格者は、見かけだけの人格者になってしまうから、かえって徳を損なうものだ」と。
 この言葉は、郷里で旧町名復活運動を主唱していた頃、当時の会津若松市長が、歴史を知らない職員、出稼ぎ職員の意見を尊重し、由来のある町名復活に耳を貸さなかったため、復活運動の会長をお願いしていた高木厚保さんが、述べたのだ。
 周りの者に良い顔をしたいので、地元住民の意見を無視した市長の態度を指して言ったのである。高木さんは、当時、若松ガス社長で、会津経済界の第1人者だった。経営していた日新館で、論語を教えていた知識人でもあった。
 こういう人物が、その後、経営権を手放し、第一線から退いた頃から会津の経済は冷え込んでしまった。
 ところで、昨日から始まった「八重の桜」の第一回の視聴率は21%だった。前回、「平清盛」は17%だったから、まずまずのスタートか。会津藩主の京都守護職就任などの場面になれば、全国的に視聴率は上がるだろう。
2013年01月06日(日) 論語(8)
 子曰、「過而不改、是謂過矣」
読みは、子曰わく、「過ちて改めざる、是を過ちと謂う」
 意味は、先生が言った。「人は誰でも過ちの有るものであるが、過失を犯した時にそれを自分で反省し、改めなかったら、それこそ本当の過失というものだ」と。
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 昨年末に出版された『会津人群像』22号には、本日からスタートする大河ドラマ「八重の桜」の関連で、八重の最初の夫川崎尚之助について同志社大名誉教授が書いており、参考にはなるだろう。
 小生は、明治23年(1890)当時の若松町に住んでいた旧会津藩士の名前894名を掲載した。初めての史実であり、歴史的にも価値があるーと自負している。家老諏訪伊助や初代若松市長の名前が載っている。
 この群像を千葉市立中央図書館に寄贈するつもりだ。今週中に、千草台公民館経由で寄贈したい。一人でも多くの千葉市民に読んでもらいたい。
2013年01月05日(土) 論語(7)
 子曰、「有徳者必有言。有言者不必有徳。仁者必有勇。勇者不必有仁」
子曰く、「徳有る者は必ず言有り。言有る者は必ずしも徳有らず、仁者は必ず勇有り。勇者は必ずしも仁有らず」
 意味は、先生が言った。「徳のある人は、必ず、立派な言葉を吐くものだ。しかし、素晴らしい言葉を言った者が必ずしも、徳のある人物とは限らない。また、人間愛を備えた人は、必ず思いきりのよい気力があるものだ。しかし、勇気のある者が、すべて人間愛を備えているとは限らない」と。
2013年01月04日(金) 論語(6)
 孟武伯問孝。子曰、「父母唯其疾之憂」
 子遊問孝。子曰、「今之孝者是謂能養。至於犬馬皆能養。不敬何以別呼吁」
読みは、孟武伯(もうぶはく)、孝を問う。子曰く、「父母は唯其の疾(やまい)を之れ憂う」
 子遊(しゆう)孝を問う。子曰く、「今の孝は是れ能(よ)く養うを謂(い)う。犬馬(けんば)に至まで皆能く養うあり、敬せずんば、何を以て別(わか)たんや」
 意味は、魯の国の家老であった孟武伯が、ある時、孔子に孝を尋ねた。先生が言った。「父であれ、母であれ、両親というものは子供の病気ばかり心配しているものだ」と。
 ある時、門人の子遊が孝について尋ねた。先生は答えて言った。「現今、世間では、親に対して、目に見えた奉仕をすることが孝であると考えている。しかし、奉仕するということだけならば、犬や馬に餌をやって養うことぐらいは、誰でもできる。敬う心がなかったなら、どうして犬馬を養うことと区別できるだろうか」と。
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 正月2日、テレビ東京の「白虎隊」を観た。小さなことだが、肝心なことが過っていたことに気付いた。「ならぬことはならぬ」という「什の誓い」が会津藩の藩校・日新館で教えたーとなっていたが、全くの誤り。
 日新館に入学する前の9〜10歳の子弟が什という仲間を作り日頃の鍛練をしていた時の決まり事なのである。什とは、中国の軍隊用語で、10人単位の仲間を指す。
 民放の時代考証がデタラメの証左であるが、6日からスタートするNHKには、そうしたことのないように願っている。會津のファンは多いのだから。
2013年01月03日(木) 論語(5)
 子曰、「君子不重則威、学則不固。主忠信、無友不如己者。過則勿憚改」
子曰く、「君子重(おも)からざれば則ち威あらず。学べば則ち固(こ)ならず、忠信を主とし、己に如(し)かざる者を友とすること無かれ、過(あやま)てば、則ち改むるに憚ること勿れ」
 意味は、先生が言った。「人の上に立つ者は、重厚でなければ威厳がない。学問をすれば片寄った判断をしなくなる。誠実と信義とを大切にしなさい。自分より劣った者を友達にしてはならない。人は誰でも過ちのあるものであるが、もし過失を犯したら即座に改めるべきである」と。
2013年01月02日(水) 論語(4)
 子曰、「温故而知新、可以為師矣」
子曰わく、「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る、以って師となるべし」
 先生が言った。「過去の歴史を勉強することによって、それをもとに、現在の新しい事柄や問題を認識し、将来に対処する、そうした考え方をする人は、他の模範となり得る人である」と。
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 筆者は歴史を学ぶことに中学生の頃から興味を持ってきた。思い返せば会津若松市立2中時代、学校の図書室で源平盛衰記など、鎌倉時代の歴史書を夢中で読んだ。
 その後、日本の歴史は、かなり勉強した(積もりだ)。会津高校時代は進学するのは同志社大と決めたが、「京都は遠過ぎる」と拒否された経験がある。今になって思えば、同志社と会津の深い縁があったのを、誰知らずに感じていたのだろう。
 自分の国の歴史について、日本人ほど分かっていない民族はいないーというが、2000年を超す、長い歴史を知ることは、世界へ飛び出す若者にとっては欠かせないものだ。
 房総半島会津藩士顕彰会の仕事は、わずか150年ほど前の歴史を大事にすることなのだが、それの積み重ねが基本なのであろう。論語の通りに、忠実に守り続けたい。そして後に続く人材が育ってくれるよう、祈りたい。
2013年01月01日(火) 謹賀新年
 新しい平成25年が明けた。今年は會津復権の年である。會津の年だ。大河ドラマ「八重の桜」で新島八重(旧姓山本)が年間を通してテレビに流れ、テレビ東京では明日2日、長時間ドラマ「白虎隊」が登場する。
 明治維新以降、薩長藩閥政治のために歴史の表舞台から消された會津藩が復権するのだ。
 會津藩は藩祖保科正之が礎を築き、正之が定めた「家訓15か条」が幕末まで藩士の精神の支柱となり、戊辰戦争を戦い抜いた。この精神に育てられた八重の一生を素直に表現することを祈る。
 実は、會津では保科正之の生誕400年にあたった平成23年(2011)に向けて、大河ドラマで取り上げるよう、23万人の署名を添えてNHKに陳情した経緯がある。その際、わが房総半島会津藩士顕彰会でも協力した。
 しかし、正之は全国区でなかったので落選した。これは薩長藩閥政治のためなのである。武断政治から文治政治への切り替え、江戸城天守閣より庶民生活が優先、玉川上水の開削など、正之が施した4代将軍家綱の時代の治世は見事なものだ。
 會津の年を十二分に堪能したい、そして正月から美酒に酔いたい。
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