竪三日町の北で、千石町の末から西は行人町に至る、長さ1町38間=175メートル、幅4間=7メートル。戸数32戸。『若松風俗帳』には「此町旧北町寺院多し、故に寺町と名附」とある。 この町に属する寺院は、浄土宗本覚寺、一向宗真龍寺がる。河井某という者菩提心を起こして大坂の石山本願寺で得度を果たし、天正3年(1575)春に開基したが、寺では第10世善順を以て中興としている。 元治元年(1864)京都・蛤御門の戦で、長州の敗兵が西本願寺に逃げ込み、會津兵が追ってきて寺の焼き討ちを図ろうとした際、修行中の善順が身を捨てて會津兵を説得して本山の危機を救った。 4年後の戊辰戦争で会津藩が敗れ、猪苗代に謹慎していた山川健次郎と小川亮の二人を寺男に紛争させて越後に脱出させ、長州藩士、奥平謙輔に二人の将来を託した。健次郎は後の東京、京都両帝国大学総長などを歴任したわが国初の理学博士である。