会津の歴史

◆会津藩大窪山墓地に眠る藩士達(11)◆
桃澤唯一

著者/河野十四生
 桃澤唯一は、藩祖保科正之に小姓として仕え、後に副奉行に出世しました。
 戸枝市郎左衛門の末子で、熊之助と名乗りました。小禄のため兄弟が多かったので、家は生活が苦しく、そのため、子供ながら「何処へなりと出稼ぎに」と母に願い出ましたが、12歳では、どうにもならぬと許されませんでした。
 しかし、心底ではどうしても他に出たいと念じていました。ある日、目付をしている親戚の戸枝平兵衛が江戸へ上がる際、滝沢峠まで見送りに行き、平兵衛に、「親に養われているのが心苦しいから江戸へ連れていってくれるよう」頼みました。
 平兵衛は、「まだ若い」と種々諭しましたが、熊之助は「決心した以上、再び家に戻ることは出来ません」と、いうことを開かず、しまいには脇差に手をかけて自害する格好だったため、「ぜひには及ばず」と江戸へ連れて行きました。
 この話を聞いた正之は「幼年にしては感心なものよ。ゆくゆくは召し抱えるように」と仰せになり、小姓として召し抱えられました。元服して彦五郎、後に重良と改め、小番頭を仰せつかります。学問の相手として永く正之と一緒に学び、家老、友松氏興の書いた正之の伝記を書き継ぐよう命じられます。
 寛文12年(1672)12月、正之の死去に際しては、遺命により副奉行を仰せつかり、奉行の友松氏興を補助して奉公します。後年、桃澤唯一と名を改め、吉川惟足と共に見弥山神廟(土津神社)の神楽歌を詠作しました。
のんびり行く会津鉄道の旅 (歴春ふくしま文庫)
河野十四生/著
歴史春秋出版 1,260円
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