会津の歴史

◆会津藩大窪山墓地に眠る藩士達(10)◆
浮洲七郎

著者/河野十四生
 浮洲七郎は幕末に活躍した藩士です。天保10年(1839)、若松城下の生まれで、日新館で学び、抜擢されて江戸の昌平黌(しょうへいこう)に遊学しますが、慶応2年(1866)、藩命によって京都に上る家老梶原平馬の顧問として同行します。
 当時、京の町は、一時小康状態だったので、七郎は間もなく江戸へ戻って勉学を続けます。
 同4年(1868)正月、鳥羽・伏見で幕府軍と西軍との戦端が開かれるや、七郎は他の藩士らと急遽、京に上りますが、幕府軍は大敗します。七郎は軍事参謀兼隠密を仰せつかり、直ちに防護策を練ります。
 しかし、幕府軍は士気を喪失、やむなく大坂に退却します。将軍慶喜は既に会津藩藩主松平容保を同行して江戸に逃れた後でした。七郎は、後を追うように江戸に戻り箱根の険峻を境に、西軍と決戦を挑もうとしましたが、これも容れられず、七郎は日光に落ちて幕府軍の大鳥圭介の軍に投じます。
 その頃、会津藩家老山川大蔵は、会津の田島にあって日光口の守備についていました。4月、大鳥は山川と連絡をとり、共に進軍して日光に籠る西軍を攻撃します。しかし、ここでも幕府軍は撃退され、七郎は胸に貫通銃創を負います。
 山川は七郎を助けようとしますが、逆に大蔵の身を案じ、「西軍の兵の中には、おれを知っている者が多い。もし敵の手に落ちれば死後の恥だ」といって、首を斬ってもっていってくれるよう懇願します。迫る西軍−。大蔵は暗涙をのみながら首を斬ったものの、持ち去る暇はなかった、ということです。
 時に七郎、30歳でした。
のんびり行く会津鉄道の旅 (歴春ふくしま文庫)
河野十四生/著
歴史春秋出版 1,260円
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