会津の歴史 戊辰戦争百話

第六十五話:南摩(なんま)・町野両家の自刃

慶応四年(一八六八)八月二十三日、南摩弥三右衛門(三百石)邸には、二番目
の子を出産したばかりの妻フサと長男萬太郎、母のカツと、七月の白河の戦いにお
いて負傷し、骨が砕けて歩行することができず治療に帰っていた弟の荘司、それと
幼い弟壽(たもつ)と辛(かのと)がいた。西軍の城下侵入を目前にして、荘司は
「私は自刃するので、母上は他の者らと共に難をのがれてください」と言って勧め
たが、カツは「一人お前だけを捨てるわけにはゆかない。そなたが自刃するのであ
れば共に自刃するであろう」と言う。しかし、荘司は「ここで死んでも益はない。
それでは私も下僕清蔵に担がれて難を避けましょう」という事になった。彼らは共
に手を取り合って邸を出、城に向ったが路は塞がっていて入城する事はできなかっ
た。やむなく路を転じ、西隣りの日向邸に至ったところで荘司が水を求めた。見る
と荘司は自刃してしまっており、川の水を汲んで与えると、その水を飲み終えて静
かに瞑した。ときに二十一歳であった。一同はその遺骸を諏方社の境内に移し、城
西の部落に遁れるを得たが、村人たちは西軍をはばかりどこへ行っても宿泊を拒ん
だ。やむなく古寺や空家を転々とするうちに、カツは姉である町野キト(町野源之
助主水の母)と遭遇、一緒に大沼郡勝方村に到って、ようやく寺院に宿る事ができ
た。
九月六日、若松城落ちるとの報(誤報)に接し、南摩、町野両家の一同は自刃を
決意。カツは嫁のフサに「弥三右衛門(小原砲兵一番隊組頭)は傷を負い城中に在
るという。お前は二子を携えて城に行きこれに従うべし」と言って下僕清蔵にその
供を命じ城に向わせた。そして翌七日、一同は山中に入って全員自刃した。この時
カツは手ずから壽(八歳)と辛(四歳)を刺したが、壽は死に臨み、けなげにも
「母の手にかかって空しく死ぬるよりも、敵と戦って死にたい」と言うのを、カツ
はこれを諭して死に就かせたという。カツ享年四十二歳。
町野家の方では、町野源之助主水(朱雀士中二番隊頭)の妻ヤヨ(二十四歳)が
長女ナヲ(七歳)、長男源太郎(三歳)を刺し、母キト(四十七歳)、姉フサ(三
十一歳)と共に自刃した。
城に向ったフサの供をした下僕の清蔵は、途中フサを見失い勝方村に引返してみ
ると、両家自刃の後であった。清蔵は太郎兵衛新田の農民で実直な人柄であったか
ら、寺僧の協力を得ると、彼らの遺骸をもとめ寺に丁重に葬った。ちなみにフサの
夫弥三右衛門もまた城内において戦死した。
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