会津の歴史 戊辰戦争百話

第六十話:有賀ヒデ母子の受難

慶応四年(一八六八)八月二十五日、籠城中の和田ヤスは城中に食糧が欠乏しつ
つあるのをみて、副食物を得ようと敵の目をさけて城外に出、本一ノ丁の西端なる
自邸に忍び入ろうとしたところ、門の石段に齢若い婦人の斃(たお)れているのを
発見、よく見ると本三ノ丁の有賀惣左衛門(二百五十石)の妻ヒデであった。その
懐には今こと切れたかと思われる乳児が瞑目せずにとろりとした眼を開き、母にす
がりつくようにして死んでいた。二十三日の早朝、西軍城下に殺到、早鐘が乱打さ
れた際、ヒデは河原町口か融通町口の郭門に向かう途中で流れ弾に斃れたものらし
く、乳児は二日二晩雨露にさらされた母の懐にあり、泣き疲れたままで母の後を追
ったもののように思われたという。
有賀ヒデ享年二十七歳。乳児ウラ一歳。
夫惣左衛門は青龍士中一番隊の中隊頭として、九月十四日の諏方社付近における
大激戦で討死したが、夫妻ほとんど同処において果てるとは因縁というものであろ
うか。
有賀惣左衛門、享年三十一歳。
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