会津の歴史 戊辰戦争百話

第四十六話:郭門警護の祖父と孫

甲賀町口郭門警衛である佐藤與左衛門の孫勝之助は、幼少組井上隊に属し、八月
二十三日の同郭門をめぐる攻防戦で祖父と共に戦死した。甲賀町口郭門は城の大手
口なために西軍が殺到し最大の激戦地となった。
土佐藩士氷室隼人の手記によると、「このときの戦に、七十歳ばかりの老人槍を
引っ提げ躍り出て、味方の一人を刺し、引き込む槍の石突で他の一人の腰を突いた
ので、その一人も後にドッと倒れた。この勇敢なる老人を眺めていた他の一人は、
遂に鉄砲でこれを撃ち倒した。ところが、それと同時に十四、五歳の少年が槍を構
えて手向かって来たので、其奴を生け捕れ、生け捕れと叫んだが、またぞろ一人が
刺されたのでこれもまた鉄砲で射殺した。その夜はある家に泊り、酒を求めて大い
に飲んでいたところ、ある者が先に殺した少年の首を携え来り、御肴持参と称して
大皿の上に載せたので、一同は“愉快極まるこの夜の酒宴、中にますらお美少年”
と歌って、大いに酒を飲みほした」という。
この勇敢なる老人と少年というのが、佐藤與左衛門七十四歳と、その孫の勝之助
十四歳であった。
甲賀町口郭門跡
▲甲賀町口郭門跡(明治時代の撮影)
右側に見える石垣の向かい側にもう一基あった石垣は明治四年に取り払われ
ました。そして残った石垣の上に城内の鐘楼が移され、昭和十六年に旧位置
に戻されるまで、町の風物詩として永らく若松市民に親しまれました。
この通りをまっすぐ進むと若松城につきあたります。(管理人)
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