会津の歴史 戊辰戦争百話

第三十九話:白虎隊・間瀬源七郎

■間瀬源七郎(ませ・げんしちろう)
間瀬新兵衛利貞(三百五十石)の次男。嘉永五年(一八五二)四月一日に生まれ
る。母は黒河内図書の三女まつ子。十歳のときに日新館に入学し、三礼塾二番組に
編入された。西川勝太郎や野村駒四郎らと親交があり、共に文武の道に精励した。
十六歳で講釈所に進み『四書』『小学』『近思録』などの書を賜りしばしばその勉
学を賞された。
慶応四年(一八六八)正月不時備組に列し、五月白虎士中二番隊に編入、二人扶
持を賜った。その出陣に当たり源七郎は、白木綿の筒袖を内に、紺羅紗(らしゃ)
の套に、紫縮緬(ちりめん)紐の義経袴を着し、鷹匠足袋に草鞋(わらじ)を穿ち
蝋色鞘の大小刀を佩び、ゲベール銃を肩に、黒皮に梅鉢の紋章を置いた弾薬胴乱を
腰にし、茶筌髷を結び、韮山笠を戴いて家人に別れを告げた。父新兵衛は頼もしげ
な伜のいでたちを見て「よし行け、戦に臨んでは衆に謀らずして挺進することなか
れ、勝に乗じて長駆するなかれ、深入りして敵に捕われ家名を汚すなかれ」と戒め
れば、源七郎もまた誓って尊慮を煩わさるべしと勇躍して家を出た。
八月二十二日、藩主松平容保に従って滝沢村に向かい、さらに進んで戸ノ口原に
出陣したが、西軍の進攻は猛烈を極め、戦利あらず飯盛山に退いて二十三日自刃し
た。享年十七歳であった。
戦後、源七郎の遺族は南井手村にあったが、改葬方からの達しにより戦死者の遺
体探索が行われた。三人の姉たちは源七郎の遺体を捜して飯盛山に登ってみると、
そこには自刃者の衣服の破れたのが散乱し、また袴や足袋が松の枝に掛けられてい
るのが目についた。近づいてよく見ると、これは彼女たちが手縫いして源七郎に与
えたもので確かに見覚えがあった。これにより源七郎も自刃したことを知り、戦場
に死し、戦場に葬られたのは武人の本懐とするところで、敢て改葬は好まぬであろ
うと僅かにその遺物を拾集して帰り、柩に納めると天寧寺の先塋の側に埋め、石を
建てて、勇猛院忠誉義進居士と諡(おくりな)した。
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