会津の歴史 戊辰戦争百話

第四十話:白虎隊・梁瀬勝三郎

■梁瀬勝三郎(やなせ・しょうざぶろう)
物頭梁瀬源吾(三百五十石)三男。嘉永五年(一八五二)六月、郭内本二之丁に
生まれた。母は石川定記の叔母とく子。勝三郎は八、九歳の頃、家僕と共に松茸狩
りに出かけたことがあった。弁当を松の木陰に置き、茸を探したのちそろそろ腹も
空いてきたので弁当にしようと元の処に来てみると、いつの間にか鳥の餌になって
いた。空腹でたまらなかったので、家僕はその辺を探し大きな柿の実を持って来て
勝三郎に渡した。勝三郎は何処でもらって来たのかと問うと、家僕は恐る恐る盗ん
で来たことを述べた。すると勝三郎は、いかに飢えたとて人の物を盗ってはならな
い。お前は御苦労ながらその主を探して謝して来なさい、と言ったという。十歳の
ときに母が亡くなり、継母神尾織部友善の二女みお子に養われた。この年日新館に
入学し三礼塾二番組に編入された。馬術は大場儀助に、弓術は一瀬甚五右衛門に、
槍術は内田伴之助に、剣術は長坂源吾に、フランス式調練は旧幕臣畠山五郎七郎・
沼間守一に学んだ。
戊辰の役においては白虎士中二番隊に編入せられ、戸ノ口原に奮戦したが戦利あ
らず、飯盛山上に自刃した。享年十七歳。法名を仁顕院忠肝剣光居士という。
飯盛山宇賀神堂
▲自刃した白虎隊士の霊を祀った飯盛山宇賀神堂(管理人)
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