会津の歴史 戊辰戦争百話

第二十九話:白虎隊・伊藤俊彦

■伊藤俊彦(いとう・としひこ)
父は新番組士伊藤新作亘(五人扶持)、母は玉木兵左衛門女りよ子。その長男に
生まれ賜邸は川原町堀側にあった。十二、三歳の時に母と死別。継母は藤森儀右衛
門長女孝子。賢婦人のきこえたかく、俊彦との関係も実母以上であったという。
かつて俊彦は系譜を見て、祖先八郎が追鳥狩に於いて二度も一番獲物をあげ、君
前に召されて賞賜を受けたことを知り、今や国家騒擾(そうじょう)のとき、追鳥
狩をもって兵を習うような場合ではない。敵若し来たらば必ず一番槍を揮(ふる)
って敵狩をなし、もって君恩に報ぜざるべからずと言っていたという。
戊辰の役では白虎士中二番隊に編入され、西軍会津に殺到するや、戸ノ口原に出
陣、戦い利あらず遂に飯盛山に後退し自刃した。ときに慶応四年(一八六八)八月
二十三日、享年十七歳。法名を浄忠院心誉義善居士という。
▲上の写真は飯盛山です。昭和10年代、大戦前の撮影らしいです。
■■■こんな雰囲気だと白虎隊士の霊も静かに眠れそうですね。(管理人)
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