会津の歴史 戊辰戦争百話

第二十話:白虎隊、飯盛山にて自刃

慶応四年(一八六八)八月二十三日の払暁、西軍は勝ちに乗じて猛攻を開始。白
虎隊士たちは空腹と疲労にあえぎながら退却を余儀なくされた。彼らは赤井谷地か
ら滝沢峠の山道を迂回し、間道伝いに潜行しながら若松の城下を目指した。
西軍は乱射乱撃の急追で、忽ち滝沢峠に殺到した。ここを守備する東軍は会津の
佐川官兵衛、桑名の岡本武雄であった。東軍の敗兵は創をつつむ暇もなく雪崩こん
でくる。これをみた佐川官兵衛は憤然として叱咤激励し、渾身の勇を奮って防戦に
つとめていたが、見るまに満山敵兵に埋め尽くされた。
西軍の兵は舟石峠を駆け下り、飯盛山に沿いながら陸続として南進、まさに若松
城の虚を衝かんとしている。これをみた官兵衛は、すわ主城の一大事と配下の兵に
撤退を命じ、一路若松城をめざした。一方、白虎隊士らは敵の目をのがれ、谷を渡
り、山腹を這いながら退却し、白糸神社のあたりまで来るとここにも西軍の兵は一
杯である。そのうえ敵の一斉射撃を受けて、隊士の永瀬雄次が負傷した。
もう街道は完全に通れない。このとき彼らの脳裡にひらめいたものは、この先に
戸ノ口疎水の洞門があるということであった。一同は永瀬を助けてこの洞門をくぐ
り抜け、厳島神社の裏に出た。そこから山腹を辿って飯盛山の南面に迂回してみる
と、ああ無念なるかな城は早や紅蓮の炎に包まれて、天守閣も今や落ちるかと思わ
れた。隊士たちもここまで来る間に皆バラバラとなり、最初にたどり着いた一団は
僅か数名であったと伝えられている。
彼ら少年たちは小手をかざして燃え盛る城下にしばし見入っていたが、主君もす
でに城と運命を共になされたかと思うと、熱い涙は両頬を伝わってとめどなく流れ
た。城はまさに陥ちた。自分たちには既に帰るべき家もなければ、城もない。一死
君国に殉ずるのはまさにこのときである。一同潔く自刃し、黄泉の国で再会しよう
ではないか。誰いうともなく各自の意志は伝わり、彼らは銃を捨て、一斉に若松城
を拝し跪いた。
飯沼貞吉は母より与えられた短冊を取り出して声高らかに読み上げ、三回繰り返
すと、篠田儀三郎もまた文天祥の詩を吟じた。戦傷に苦しんでいた石田和助はこれ
を聞くと、勇をこして「人生古より誰か死無からん。丹心を留取して汗青を照らさ
ん」と誦し終わると「手傷苦しければお先に御免……」とばかり両肌を脱ぎ、刀を
腹に突き立てるとこれを引き回して見事に自刃した。これを見た嚮導の儀三郎も、
われ遅れずとばかりに喉を突いてその後を追った。
永瀬雄次は敵弾を腰部に受けて身体の自由を失い、同僚に介抱されながら辛うじ
て飯盛山に辿りついたくらいであったから、はやる心はあっても思うように自刃す
ることも叶わなかった。これをみた林八十治は永瀬をたすけて刺し違えようとした
が、これも思うにまかせない。そこで野村駒四郎はこれを手伝って介錯、返す刀で
自らもその後を追った。
この様にして他の者たちも次々に後を追ったが、一足遅れて到着した一団もまさ
にこの悲壮凄惨の状況に遭遇し、我らも遅れずとその後を追った。だが実は、城は
陥ちてはいなかったのである。城下は西軍の焼き打ちで炎上はしていたが、以後三
旬の長きにわたる籠城戦が、この日を皮切りに展開されていたのである。それとは
知らずに死を急いだ彼ら少年は、勇壮というよりか、まさに悲劇としか言いようが
ない。
この日、飯盛山で自刃したのは次の十六士であった。
・篠田儀三郎十七歳(兵庫次男)■■■■■■法名・賢忠院軍譽英信居士
・井深茂太郎十六歳(守之進長男)■■■■■法名・深明院殿忠道義人居士
・石田和助十六歳(龍玄次男)■■■■■■法名・秋山義遊居士
・伊藤俊彦十七歳(亘 長男)■■■■■■法名・淨忠院心譽義善居士
・林八十治十六歳(忠蔵長男)■■■■■■法名・義光院劍譽忠勇清居士
・西川勝太郎十六歳(半之丞長男)■■■■■霊号・節顯靈神
・津川喜代美十六歳(瀬兵衛養子)■■■■■法名・清進院良譽英忠居士
・永瀬勇次十六歳(丈之助次男)■■■■■法名・功勲院忠譽義道居士
・野村駒四郎十七歳(清八三男)■■■■■■法名・義詮孝忠居士
・梁瀬勝三郎十七歳(源吾三男)■■■■■■法名・仁顯院忠肝劍光居士
・梁瀬武治十六歳(久人次男)■■■■■■法名・武勇院殿義戰居士
・間瀬源七郎十七歳(新兵衛次男)■■■■■法名・勇猛院忠譽義道居士
・有賀織之助十六歳(権左衛門次男)■■■■法名・信忠院英山見遊居士
・安達藤三郎十七歳(小野田助左衛門四男)法名・義嶽院雄功忠道居士
・鈴木源吉十七歳(源甫次男)■■■■■■法名・秋峰院戰義道清居士
・飯沼貞吉蘇生(時衛次男)
明治十七年、十七回法要が行われた際、石山虎之助十七歳(井深数馬次男、弥右
衛門養子。法名・秀了院殿義覺劍忠居士)も、他の十六人と同じ行動をとったこと
が確認されて自刃者の中に加えられることになった。更に二十三年、二十三回忌に
際し殉難碑が建立されたのを機に、飯盛山に到着する以前に戦死した、池上新太郎
十六歳(與兵衛長男、法名・義勇院忠達日清居士)、伊東悌次郎十五歳(左太夫次
男、法名・仁進院忠節劍義居士)、津田捨蔵十七歳(範三次男、法名・精進院勇猛
義忠清居士)の霊も加えられ、現在飯盛山上には十九士の霊が祀られている。
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