会津の歴史
■会津若松市史研究第六号 (論文集)
A5判
186頁
定価1100円(税込)
●目次
【研究論文】
近世初期 大名家訓にあらわれた対幕府意識の諸相
畑敬之助
各藩家訓にみえる対幕府意識
(1)加賀藩金沢前田家『前田利家・利長家訓』
(2)肥前佐賀藩鍋島家『鍋島家家訓』
(3)筑前福岡藩『黒田長政遺言』
(4)筑後柳川藩立花家『立花宗茂家訓』前文
(5)陸奥会津藩保科(松平)家『家訓(かきん)』
(6)陸奥磐城平藩主『内藤義概(義泰、頼長)家訓』
対幕府意識の底にあるもの
1会津藩・平藩の場合
2金沢藩・佐賀藩・柳川藩の場合
3筑前福岡藩黒田家の場合
家訓制定の背景
徳川幕府の会津藩監察をめぐる考察 大塚  實
−会津に派遣された国目付を中心に−
はじめに
幕府の諸大名に対する監察制度 国目付と巡見使
(1) 国目付
(2) 巡見使
(3) 会津に派遣された巡見使
蒲生時代に派遣された国目付
三代正容の幼少期に派遣された国目付
四代正貞の襲封の際派遣された国目付
五代正頌の幼少時に派遣された国目付
中止された七代正衆の幼少期の国目付
おわりに
【研究ノート】
会津藩の少子化対策と農民家族 太田素子
−南山御蔵入領の産子養育関係史料を手がかりに−
南山御蔵入領における「産子養育」制度の形成
願書控にみる農民家族の子育て
会津藩の教育制度に見える「小普請」 坂誥智美
はじめに
会津藩の教育制度
小普請の基準
文武等の成果による小普請御免
稽古小普請
(一)始期とその運用
(二)稽古小普請の例
むすびにかえて
佐瀬三餘の生涯 佐藤一男
−明治大正に活躍した会津の多彩な文化人−
はじめに
佐瀬家のあらまし
三餘の青年期
幸運、奇遇な出会い
帰郷後の三餘
1農園経営
2三餘の著作活動
3弔辞、祝辞、申請書、石碑文
4篆刻への道
5会津俳界への貢献
会津墨客録
認め合う顕彰と相互扶助の揮毫会
北海道庁50周年に迎えられて
終わりに
郷里会津と野口英世 小桧山六郎
−語られていない野口英世の素顔−
英世が新千円札に登場
三ツ和尋常小学校校長「松本順次郎」のこと
恩師・小林栄と猪苗代尋常高等小学校時代のこと
清作が会津中学校で勉強していた
「生き馬の目を抜くが如し」苦学の東京時代
清作から英世への改名
母・シカ自筆の手紙と英世の返事の手紙
英世が支援していた私立猪苗代日新館のこと
大正四年に帰国のこと
夢見るは故郷のこと
十一 日本人の地位向上に勤める
会津における「馬と農耕と運送」 大塚  實
農耕馬として
運送馬、助郷馬として
中付駑者馬として
塩の運搬の中追馬として
馬車馬として
産馬、軍馬徴発、消えた馬の姿
湊町の中世について 石田明夫
鎌倉時代の豊かな村「赤井遺跡」
中世の地名が多い湊
遺跡の分布
【調査報告】
戦後の会津若松市における演劇活動 清水和彦
はじめに
くるみ座から会津新研へ
会津演研(会津演劇研究会)
東山公民館演劇グループ
会津児童劇研究会木馬座
童劇プーポ
劇団 城
劇団 ワイルド・キャッツ
劇団 はんぷてぃ・だんぷてぃ
劇団 ぴーひゃらら
十一 シアターF
十二 てづくり舞台
十三 会津演劇鑑賞会
十四 会津子ども劇場
十五 おわりに
院内御廟−発掘調査の成果を踏まえて− 近藤真佐夫
はじめに
概要
墓所の沿革
藩主の墓の構造と造営
発掘調査の結果
(一)藩主墓所の選地と規模
(二)墓道
(三)前庭部
(四)表石
(五)墳丘と鎮石
(六)三物
(七)参道
(八)亀趺
まとめ
【史料紹介】
横山敏彦家文書 長谷川和夫
横山家について
文書について
主な文書
・御用留記等
・旧記
・年貢関係と分限帳
・その他
旧藩廃絶録

■ご注文・お問合せ先/会津若松市史編さん室 TEL 0242−28−9611

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