会津の歴史

◆会津藩大窪山墓地に眠る藩士達(25)◆
志賀重方(宝蔵院流鎗術師範)

著者/河野十四生
 天明3年(1783)正月、野矢常方の第3子として生まれた。長じて宝蔵院流鎗術師範志賀重與の跡を継いだ。体は小さかったが、義父に従って槍を修め、耐え難きを耐えた。
 山陽、山陰、西海の諸国を遊歴したが、會津では許位にとどまり、印可伝のないのを残念に思い、南部に赴いて宝蔵院流覚禅坊末裔の某について印可を受けて帰国し、これを門弟に伝授した。
 文政12年(1829)門人の野矢常方、黒河内兼規、町田俊蔵、井上清吾の4名を率いて西遊の途に上った。久留米藩で槍の試合を行い、4人はいずれも勝を治めた。重方にかなう藩士は出ず、勝負にならない状態が続いたため、重方は「明日に再び」と申し入れた。
 しかし、相手の師範は「陽はまだ高し」とひるむ様子がない。重方は門弟に「會津男子の魂を九州にとどめよ」と命じ、試合は続行された。夜半になってようやく試合は終わったが、疲れ果てて眠りについた中、重方に宿の主人が「藩士の動きが変です。密かに出立されては」と忠告を受けた。 
 だが、重方「逃げ出すなど會津武士の恥」と断り、翌朝、堂々と出立した。會津藩庁では重方の堂々とした行いを賞し、麻裃1具、門人には槍穂などを下賜した。重方47歳。
 弘化3年(1846)致仕して子重則に継がせた。安政5年(1858)76歳で没す。
のんびり行く会津鉄道の旅 (歴春ふくしま文庫)
河野十四生/著
歴史春秋出版 1,260円
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