会津の歴史

◆会津藩大窪山墓地に眠る藩士達(23)◆
田村三省

著者/河野十四生
 田村三省は、亨保19年(1734)、町家酒井伊右衛門の三男として生まれますが、故あって田村清次右衛門の養子となり武士となります。宝暦9年(1759)26歳の時、養父と死別しますが、養父が60年間永勤した功によって、三省は一石を減じた8石二人扶持が与えられ、吟味所支配無役として召し出されます。
 その後、物書本役、塩方任役と比較的順調に出世し、天明元年(1781)には廃田160石余りの公田耕作に精をだして、益金のうち一分を下しおかれました。同7年には戸の口橋の付け替えを命じられますが、三省は土木の技術も身に付けていたようです。
 同8年(1789)5月、幕府は奥羽松前へ巡見使を派遣し、同月12日会津へ入り、14日間にわたって領内各地を巡察しました。三省は巡見使御役方の接待役を命じられて同行します。一行の中に、高名な地理学者古河古松軒が加わっており、三省は行動を共にしている間、学問や知識を多いに学びとりました。古松軒は巡見での見聞を『東遊雑記』にまとめましたが、その中で、「会津は二三万石の大身なれど城下の民の服装は貧しく困窮している」と著しています。度重なる幕命で海岸防備などに駆り出された会津藩の内情を指摘しています。
 三省は、現代でいう考古学者で、後年『会津石譜』を著し、藩主・容頌から内々に御酒を下されることもあった。亨和3年(1803)に始まった『新編会津風土記』の編纂で御用懸を仰せつかり、最後で、しかも最高の仕事の場を得た。完成を待たず文化3年(1806)73歳で没します。著書の中で『孫謀録』は奥州三大飢鐘(1783)の有り様を克明に記録した名著です。
のんびり行く会津鉄道の旅 (歴春ふくしま文庫)
河野十四生/著
歴史春秋出版 1,260円
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