会津の歴史

◆会津藩大窪山墓地に眠る藩士達(18)◆
加賀山蕭山

著者/河野十四生
 加賀山蕭山は高名な書家です。宝暦元年(1751)、若松城下に医師の家に生まれ、馬場で馬術の稽古をしていた時、同僚の一人から「かれは文字もわきまえず、禽獣にもひとしいやつだから、われらと一緒にできる者ではない」と罵倒され、嘲笑されます。
 蕭山は、己が学問がないために面罵されたのを悟り、以後、学問に励むことを誓います。姉の嫁ぎ先で学問に励み、特に習字に熱中して狩野派の画も学んで、自ら東米山と号しました。
 当時、画家に奥山磐谷という人物がおり、かれと二人で絵を描いたり、書を書いて諸国を歩き関東を経て上方から長崎まで足を伸ばし、清客について王逸の筆法を学び、長崎に留まること数年に及びます。その後、江戸に戻って、研鑚を積み、苦節10年、ようやく、天明7、8年(1787〜88)に郷里の土を踏むことが出来ました。すでに37、8歳になっていました。
 帰国した蕭山は、かつて己を面罵した者の家を一軒一軒回って「諸君らから禽獣と罵られたが、それを励みに苦学すること10余年、少し得るところがあって帰国できた。諸君らのお陰である」と丁寧に礼を述べます。
 そして蕭山は、五代藩主、容頌から、華様(漢の書法)師範に取り立てられ、後に藩校日新館教授も兼ねます。「日新館童子訓」をはじめ多くの刻書を残しました。五代容頌、六代容住、七代容衆の墓碑銘を謹書し、会津藩書道の中興と称賛されました。
のんびり行く会津鉄道の旅 (歴春ふくしま文庫)
河野十四生/著
歴史春秋出版 1,260円
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