会津の歴史

◆会津藩大窪山墓地に眠る藩士達(16)◆
小松成房

著者/河野十四生
 小松成房(百石)は、戊辰戦争での鶴ヶ城籠城戦で、城兵を率いて西軍へ打って出て戦死しましたが、会津武士の槍の恐ろしさを見せつけた剛の者でした。
 慶応4年8月23日、西軍は会津城下に侵入しました。追手門などは堅固でしたが、長州藩の有地品之允(後に海軍中将)は城の南側が防備上弱点のあることを知り、一隊80人を率いてひそかに城の東南から湯川を渡り、近くの墓地に大砲を据えて一気に三の丸に攻め入る構えを見せました。
 この時、藩主容保は滝沢峠から戻っていましたが、城中には兵力はほとんどなく、ようやく集めたのが38人だけでした。長州側は、「会津武士は古来、槍を能くする」ことを知っていて「軽挙盲進して不覚をとるな」と用心して進んで来ました。そして大砲の援護を受けた一隊が天神橋を渡り南門に迫った時、小松成房らに率いられた城兵が門を開いて一気に長州勢に槍先を揃えて突き進みました。
 城内からは、婦女子らも声を限りに声援をおくり、長州勢を撃退しました。こうして天神橋の川原は敵味方の屍骸が累々とし川は真っ赤な血で染まった、といいます。
 この出撃で小松成房ら28人が戦死しました。
のんびり行く会津鉄道の旅 (歴春ふくしま文庫)
河野十四生/著
歴史春秋出版 1,260円
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