会津の歴史

◆会津藩大窪山墓地に眠る藩士達(6)◆
塩田昭矩・昭方・昭博

著者/河野十四生
 祖父―父―孫と、三代に渡って水野新当流柔術師範を務めた塩田昭矩―昭方―昭博。四代藩主、容貞から五代容頌時代に祖父から孫までが柔術師範として活躍し、特に、昭矩は藩士の「秀傑七人」に数えられた。
 寛政年間(一七八九〜一八〇一)、江戸の渋川伴五郎という関口流の妙手を会津藩が招聘しようとした際、昭方は、数人の弟子を引き連れ、大老北原光保、家老田中玄宰らの前で甲冑をつけて柔術を演じた。この時、昭方は「柔術は捕挫の術にはあらず、修身の業にして満技の元素である」とその理を説明、居並ぶ重臣たちも感服し、渋川招聘は沙汰止みとなった。また、後日、藩校日新館に柔術場が設けられたのは、昭方の功によるものだった。
 孫の昭博は、柔術だけでなく、能の宝生流も修め、能楽を学ぶ者は、殆どが昭博を師とした。ことあるごとに、「柔術は技を演じるのみでなく、安居の時といえども心をもって心を練り、体をもって体を練り、帰臥、動静、みな陰陽剛柔の理にあらざるはなし」と弟子たちを戒めた。
のんびり行く会津鉄道の旅 (歴春ふくしま文庫)
河野十四生/著
歴史春秋出版 1,260円
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