会津の歴史
●寄合白虎隊―激闘の七十余日―
寄合白虎隊表紙 A5版
約170頁
頒布価格2,500円
(平成15年刊)
発行/会津文化財調査研究会
飯盛山で自刃した「士中白虎隊」十九士のことは、すでに多くの人々に知れわたり、
余りにも有名である。しかしながら、それより一カ月以上も早く、遥か越後口に出陣
した「寄合白虎隊」は、各地を転戦して多くの犠牲を払い、掉尾(とうび)をかざる
一ノ堰戦では隊長原隼太(はらはやた)までも壮烈な戦死を遂げたのに、何故か忘れ
去られようとしている。本書は、いま飯盛山上に眠る「寄合白虎隊」戦死二十二隊士
たちに捧げる鎮魂の賦である。

目次


寄合白虎隊の奮戦
・はじめに
・白虎隊の編成
・寄合白虎隊の戦歴
・寄合白虎隊の出陣
・寄合白虎隊の奮戦
・佐取の戦い
・津川、角島の戦い
・只見川の攻防
・寄合白虎隊の転戦
・寄合白虎隊の戦死者名簿
・白虎士中隊、足軽隊の戦死者名簿
・飯盛山、戦死三十一士の墓について
寄合白虎隊の転戦略図(とじ込)
追記
・原隼太のこと
・高遠と会津
・赤谷探訪
・佐々木家について
・地方御家人
・諸職人も会津藩士であった
・戦後の刀鍛冶
・古川近江兼定・角松軒元興・村田傳治国宗・三善藤四郎長道・中条辰之進道辰・鈴木半兵衛兼友
・若林安右衛門重房・下坂重郎為利・下坂藤次郎
・寄合白虎隊士断片
・三善万吉長道・中条広記辰頼・水野多門成隆・長島龍三郎

著者略歴


堤章(つつみ・あきら旧姓遠藤)
大正13年 遠藤操(銘・兼光)の二男として福島県塩川町に生まれる
昭和16年 福島県立会津工業高校・応用化学科卒業
同年 北海道人造石油(株)に入社、合成燃料の研究にたずさわる
昭和19年 戦車第三師団戦車第十七連隊に入隊
昭和21年 復員、鍛冶職に就く(兼光三代職歴六十年)
昭和29年 堤姓となり登録商標ステンレス「姫鍬」を創製す
昭和54年 全国植樹祭に際し、昭和天皇・皇后両陛下御使用の「ステンレス鍬」
を謹製す
平成12年 全国植樹祭に際し、皇太子殿下御使用の「姫鍬」を謹製す
この間 福島県登録刀剣審査委員二期
(株)堤製作所・代表取締役・専福寺門徒筆頭総代
平成2?年 逝去

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