会津の歴史

鍛冶叢書(堤 章/著)会津文化財調査研究会/発行

■著者略歴と目次
「会津の鋸鍛冶」表紙画像 --------
鍛冶叢書1
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「会津の鋸鍛冶」
―中屋保右衛門と保左衛門の周辺―
A5版・約60頁価格1,000円(昭和60年刊)

文明開化のうねりが打ち寄せる明治の初期、会津鋸鍛冶の先駆者として縦横の活躍をし
且つ、数多くの門人を育てた在郷の偉材、喜多方の中屋保右衛門と塩川の保左衛門の周
辺をさぐる。この二人は叔父、甥の関係であった。
日本の鉄―玉鋼を折返して十文字に鍛える。更に薄く平らに打ち延ばして造形し入念の
焼入れによってハガネに生命を與え、気の遠くなるような仕上げ工程を経て、会津の鋸
はようやく出来上がる。
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「会津の刃物鍛冶」表紙画像 --------
鍛冶叢書2
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「会津の刃物鍛冶」
―藤井重正の周辺―
A5版・約186頁 価格3,000円(昭和61年刊)

鍛冶は神の業といわれる。
太陽のように真赤な鉄を鍛えて刃物を作った鍛冶たち。鉄器文明の基底を支えた会津の
刃物鍛冶職の生きざまを足で調べ後世に遺そうとした、教養人に贈る稀有の書。
土を切る刃物―鍬―を製造している著者が明治、大正、昭和にわたる会津の刃物鍛冶へ
の追遠・表功の想いを込めて綴った書であり仕事の内容や系譜を明らかにした異色作!
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「会津の鋸鍛冶」表紙画像 --------
鍛冶叢書3
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「会津の鋸鍛冶」
―近代の群像とその系譜―
A5版・約247頁 価格3,000円(平成元年刊)

かつて北海道の原生林を拓き、切れ味と使いの良さで全国に名声を博した、会津の手曲
がり鋸=「会津天王寺鋸」!
この鋸は一体誰が、いつ、どこで作ったのであろうか!?
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「会津の野鍛冶」表紙画像 --------
鍛冶叢書4
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「会津の野鍛冶」
―その技と群像―
A5版・約323頁 価格4,000円(平成3年刊)

消え去った鉄の工人たち!
過ぎし日、農具を製し刃物を鍛えた鍛冶職人たち。その熟練の手技を詳述し、合わせて
労多く報われることの尠なかった300名に及ぶ野鍛冶への追遠と表功の思いを込め、そ
の素描を拾遺する。
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「軍刀組合始末」表紙画像 --------
鍛冶叢書5
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「軍刀組合始末」
―陸軍受命刀匠の周辺―
A5版・約186頁 価格3,000円(平成6年刊)

苛烈さを加えた太平洋戦争のさなか、刃物や農具の鍛冶たちが国家の至上命令に応え、
沸き立つ玉鋼を合わせ、そして鍛えた2000振もの軍刀を造兵廠に納めた。本書は、こ
れら受命刀匠たちへの鎮魂の書である。
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「寄合白虎隊」表紙画像 --------
鍛冶叢書6
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「寄合白虎隊」
―激闘の七十余日―
A5版・約170頁 価格2,500円(平成15年刊)

もう一つの白虎隊!
飯盛山で自刃した「士中白虎隊」十九士のことは、すでに多くの人々に知れわたり、余
りにも有名である。
然し乍ら、それより一カ月以上も早く、遥か越後口に出陣した「寄合白虎隊」は、各地
を転戦して多くの犠牲を払い、掉尾を飾る一ノ堰戦では隊長原隼太までも壮烈な戦死を
遂げたのに何故か忘れ去られようとしている。本書は、いま飯盛山上に眠る「寄合白虎
隊」戦死二十二隊士たちに捧げる鎮魂の賦である。
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