会津の歴史 戊辰戦争百話

第七十三話:関山の戦い

慶応四年(一八六八)八月二十三日、白河口の西軍は母成・滝沢峠を突破して若

松城下に突入したが、若松城を完全に包囲攻撃するためには兵力が不足であった。
これを補うには越後口・日光口両戦線における西軍を一刻も早く若松に到達させる
必要があった。日光口大内村に宿営していた西軍は、九月一日未明に会津・幕府兵
の銃撃を受けたが、これに反撃しつつ大内峠に向った。しかし、東軍の攻撃は厳し
く宇都宮藩の大沢富三郎以下四名が戦死、六名の負傷者を出してその日はひとまず
大内村に退いた。
翌二日早朝、西軍は再び進撃を開始し一挙に攻め入ろうとしたが、会・幕兵の徹
底的な抗戦にあい、氷玉峠にかかる窪地において苦戦におちいり、それ以上は進む
ことができなかった。軍監中村半次郎はこの日より直接指揮をとることになり、三
日にしてようやく栃沢を攻略し、さらに関山の前方に進出することができた。
翌四日、西軍は午後四時ころに喚声を挙げて東軍陣地に突入、ついに会・幕兵も
関山に火を放って退去、ようやく関山から本郷へと進攻することができた。
この一連の戦いにおける会・幕兵の戦死者は、青龍足軽三番隊中隊頭の野村悌之
助以下将卒約四十名に及んだ。
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