会津の歴史 戊辰戦争百話

◆第五十五話之二:二十一人之墓

登世子は、井駒五兵衛の娘として嘉永六年(一八五三)若松の城下に生まれた。
母の出身は一族二十一人が自刃した西郷氏であった。慶応四年八月二十三日、西軍
が城下に殺到した時、登世子は十六歳であったが若松城に入城し、負傷者の看護や
炊出しなどによく働いた。西軍は四方から城を包囲し、砲弾は霰(あられ)のごと
く降りそそいだ。死傷者は続出し、登世子も懸命に奮闘したが籠城一ヶ月後、会津
藩はついに降伏の白旗を北大手門に掲げた。
戦後、登世子は母の実家である西郷邸にいたり、その焼跡より遺骨を一つ一つ灰
の中から拾い出してオイヅル(負い籠)に収め、これを善龍寺に埋葬したが、背負
って行くその途中、カゴの中の骨はすれあってカサ・コソと小さな音をたて、その
音はさながら二十一人の人々が何か自分に話しかけているようであったという。
二十一人之墓(善龍寺) 奈與竹の碑
二十一人之墓(善龍寺)
自刃した西郷家一族のお墓です。この写真は
少し古く今はもっとキレイになっています。
(管理人)
奈與竹の碑
(なよ竹の碑)
(善龍寺)
▲西郷邸阯の碑(甲賀町通り)
▲西郷邸阯の碑(甲賀町通り)
西郷頼母邸は復元したものが観光施設『会津武家屋敷』に建てられています。
(管理人)
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