会津の歴史 戊辰戦争百話

第三十七話:白虎隊・野村駒四郎

■野村駒四郎(のむら・こましろう)
供番野村清八(百三十石)の三男として郭内本二之丁に生まれた。母は永野保の
妹みね子。父清八は早く没した。長兄卯之助、次兄兼三郎は撃剣を好み、剣客をも
って名があった。駒四郎は十一歳にして日新館に入り三礼塾二番組に編入された。
書を読み、武を習い、とくに一旨流の槍術をよくし切紙下に進んだ。
その頃、盗賊が他邦より入り来たり、強掠放火などをなし、郭門には、突棒刺叉
(さすまた)などが列ねられていた。ある夜、野村家の竹林中に人の気配があり、
何者かが潜行している様子であった。兄は槍をとってまさに刺そうとした時、駒四
郎はこれを聞き付け、この賊は私の小腕にまかせて下さいと言って、寝衣のまま徒
手にてこれを捕らえてみたところ、賊は意外にも女で大いに叫び泣く。よって燈火
を点じてこれをよく見ると、隣家の下婢が主人の呵責を避けてかくれていたのであ
った。駒四郎の沈勇がなかったら、あわやこれを刺殺してしまうところであった。
このとき駒四郎十三歳であった。
慶応四年(一八六八)三月、白虎士中二番隊に編入せられ、八月二十三日西軍と
戸ノ口原に戦って破れ、飯盛山に退いた。同僚の永瀬雄次は敵弾を腰部に受けて身
体の自由を失い、これを見た林八十治は永瀬をたすけて刺し違えようとしたが思う
にまかせず、駒四郎はこれを手伝って介錯し、返す刀で自らもその後を追った。享
年十七歳。
戦後、家人はその遺物を先塋なる恵倫寺に埋め、法名を義詮孝忠居士という。
日新館天文台跡
▲日新館天文台跡
日新館の天文方の教場には天球儀や地球儀などが備えられていて、稽古場として
観台(天文台)が設けられていたが、選択課目だったので学ぶ者が少く常に数人
だったらしい。日新館の中でただひとつの遺構。(管理人)
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