◆第五話之二:上野の戦争◆
■上野開戦(慶応四年五月十六日中外新聞別段板) |
(昭和九年発行/『明治・大正・昭和…歴史資料大集成』より) |
■昨十五日朝未明より太鼓の音処々に聞えて、官軍繰出しに相成り、御門々々皆〆 |
切となり出入を止めらる。間も無く砲声少々相きこえ、湯島通り出火あり、此頃中 |
の大雨にて十分しめり之有る折柄なれば、手過ちの出火にはあるべからず、何様只 |
事ならずと思えども往来留なれば火元見の者を出す事も叶わず、只あつまりて此頃 |
中の風聞を語り合い出火方角を眺め居たり。 |
■或は言う、昨夜何国の兵とも知らず、千五百人程千住より江戸へ入込みたり。そ |
れ故戦争始まりたるならんと、或は言う、此程上野山内屯集の兵士、錦の旗、葵御 |
紋の旗などを拵(こしら)え、戦争の用意頻りなりと、或は言う、当時江戸御府内 |
に在って、義を結び相盟約するの諸隊、遊撃隊、銃隊、散兵隊は暫く言わず、彰義 |
隊、純忠隊、松石隊、臥龍隊、萬字隊、水心隊、其他諸国の脱走兵士、所々に潜伏 |
し、事を計る者幾万人なるを知らず、其徒一時相響応するに於ては如何なる事変を |
生ぜんも計り難しと、衆説紛々更に定論無し。 |
■其時一人の来客あり、曰く、諸公の話皆信ずるに足らず、昨日前文の如く、上野 |
屯兵御追討の議いよいよ以て諸藩の各隊へ布告に成たる事既に明かに聞えしかば、 |
参政一翁殿、筑前守殿を始め諸役人衆大に憂慮し、静寛院宮様、天璋院様の御直書 |
を持ち今暁未明に大総督府へ御猶予の儀出願に相成りしが時すでにおくれて最早官 |
軍上野に於て戦争を開きし後に成りたりと、是のみは実説なり、後の成行は如何と |
も知らずと云う。 |
■かくて此日大雨止まず、砲声益々轟き火勢益々盛にして老若婦女、難を逃れて道 |
路にさまよう者哀みの声街に満つ。然れども、皆狼狽して逃れ来れるのみなれば、 |
今日の様子を問えども一人として慥(たしか)に答うる者無し。 |
■出火の場所は上野山下、湯島天神の通、広小路、池の端、仲町、下谷辺、谷中辺 |
凡そ五六ヶ処に火の手上りすさまじき事言わん方無し、両国橋をば切落し大砲打掛 |
くべき間、立退き候様の為知(しらせ)ありて、両国橋近辺の者俄(にわか)に立 |
退き混雑す。柳橋は既に切落したりと云う。夕方に成て官軍追々帰陣し、砲声全く |
止み、人々少しく安堵の思いをなす。 |
■山内屯集の兵何方へ退きしや、御門主にもいまだ落着を聞かず、今朝上野より来 |
りし者の話を聞けば、広小路片側焼、仲町大抵焼失したる由、山下は雁鍋(がんな |
べ)の辺より東側の小屋敷焼失し、広徳寺前少々類焼す。 |
■広小路より山内に死骸六十余人有り、其外火災に依って怪我せし者、且双方の怪 |
我人多く有るべし。追て委(くわ)しき報告を得て書載すべし。 |
■同日昼過大砲数発南方に聞えたり。又、何方の船にや蒸気船一艘品川へ入津せり。 |
■昨日の戦い大雨にて双方共難戦なりしが、官軍の方より追々新手を入替々々攻立 |
けるにぞ、屯集の兵は応援無く、遂に敗走に及びける。大砲小銃分捕多し。団子坂 |
の方類焼死亡多き由。 |
■昨日黄昏(たそがれ)吾妻橋の上にて戦い有りと見えて、橋上に鮮血おびたゞし |
く流れ鉄砲玉なども橋辺に落散居たりと、浅草辺の者来り話せり。両国、蔵前辺に |
ても砲声を聞きしが其様子は詳ならずと云う。今朝王子方にて又一戦ありし由、彼 |
方より来りし百姓、途中にて拾いたりとて鉄砲玉の皮を持ち来れり。黄銅にて製し |
たる管にて至極精巧なるものなり。是まで未だ見当らざる形とて勿論舶来の品なり |
定めて官軍の内精巧新式の銃を所持する者有りと見えたり。 |
(旧漢字、旧かな使いは変えました) |
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