会津の歴史 戊辰戦争百話

第四話:会津藩の軍制改革

会津藩の軍制は天明年間(一七八一〜八)に長沼流の兵法を取り入れ、文久三年
(一八六三)八月の孝明天皇の叡覧には大いに武威を示したが、鳥羽・伏見の戦い
で西洋式の西南諸藩に大敗した会津藩は慶応四年(一八六八)三月十日、軍制の大
改革を断行した。
改革の中心は
■■・洋式に改める
■■・年齢別に編成する
■■・農町兵を募集する
であった。
以上の方針のもとに、中国の故事にならって、十六歳、十七歳の者を以て白虎隊
を、十八歳より三十五歳迄の者を以て朱雀隊を、三十六歳より四十九歳迄の者を以
て青龍隊を、五十歳以上の者を以て玄武隊を編成したが、白虎(西)、朱雀(南)
青龍(東)、玄武(北)はそれぞれ中国の伝説に拠る四方の神(霊獣)名である。
■■■■■■士中一番〜四番隊 約四〇〇人■■(一中隊約一〇〇人)
朱雀隊■■寄合一番〜四番隊 約四〇〇人
■■■■■■足軽一番〜四番隊 約四〇〇人
■■■■■■士中一番〜三番隊 約三〇〇人
青龍隊■■寄合一番〜二番隊 約二〇〇人
■■■■■■足軽一番〜四番隊 約四〇〇人
■■■■■■士中一番隊     約一〇〇人
玄武隊■■寄合一番隊     約一〇〇人
■■■■■■足軽一番〜二番隊 約二〇〇人
■■■■■■士中一番〜二番隊 約一〇〇人■■(一中隊約五〇人)
白虎隊■■寄合一番〜二番隊 約一〇〇人
■■■■■■足軽一番〜二番隊 約一〇〇人
計三十一中隊、約二千八百人を主力とし、これに第一、第二砲兵隊(各約一二〇
人)、築城兵・遊撃隊若干、約三千余人で正規軍を組織した。
このほか募集した農兵は三千八十人を数えた。その他に猟師隊・修験隊・力士隊
などがあり、会津軍の全兵力は七千人を上回った。
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