会津の歴史
●会津えりすぐりの歴史 ―資料から読み解く真実の歴史―
会津えりすぐりの歴史 単行本
338頁
1,575円
(平成22年6月刊)
発行/歴史春秋出版

目次

ポロ?も行われた鶴ケ城・桜ケ馬場
日新館太郎の学生時代
会津の槍 ―その激烈な稽古―
地産地消 ―殿様は会津米を食べたのか?―
事件の裏に女あり ―男と女の事件簿―
逃亡した勘定役人 ―中間管理職の悲哀―
鶴ケ城の割場 ―その由来と役割―
上に立つ者の心構え
殿様の言葉は重い ―会津藩士はかくも剛直―
痒いところに手が届く ―「幼年者心得之廉書」―
子ども手当支給さる ―会津藩の少子化対策―
地方御家人 ―会津藩のリストラ策―
長井定宗、責任の取り方
信じられない速歩き ―馬にも勝る健脚―
会津藩の北方警備 ―侍の海外派兵―
固い絆「君君たり、臣臣たり」 ―沼沢氏とその家臣たち―
前例踏襲はならぬ ―玄宰の発想―
お城にはいなかったお姫様
会津藩の江戸湾警備  相州編
粗末な身なり、褒められる ―藩主・藩士の京都評判記―
何と物入り、お姫様 ―姫1人に177人―
守旧派は根強し ―せっかくの改革も―
奨学金事始め ―それは医者から始まった―
18歳、若すぎる死 ―名医招聘も虚し―
お役目は辛い ―物頭の特殊勤務―
侍の裁判
侍の度胸 ―木村熊之進の一喝―
「うしになったり、うまになったり」
人参は人の命を救うもの
会津藩士の上洛日記 ―焼き蛤に勝るものなし―
幕末の京都事情 ―倉沢平次右衛門の自叙より―
ドイツ留学第一号・小松済治
長州兵を助けた会津の僧侶
戊辰戦争直後の若松 ―河原勝治の回想―
石塚観世音の悲劇 ―河原勝治思い出の記より―
斗南か猪苗代か ―猪苗代は本当に候補地だったのか―
犬は甘かった! ―柴五郎、犬を食べる―
光義院忠国育英誠実居士 ―戒名は人となりを表す―
武士の商法 ―商売人にはかなわない―
新税創出 ―ちょん髷は贅沢だ―
逃げ出した牧師 ―明治クリスチャン事始め―
若松県分離独立運動
官官接待は昔から ―山川浩の気骨―
西洋料理店開業 ―チラシにみる文明開化―
超格安物件あり! ―お城売ります―
嬉しくない? 合祀 ―靖国神社に祀られた会津藩士―
全国に二つあった若松市と若松駅
白虎隊墓地の拡張 ―景観論争事始め―
嫌われた白虎隊士・飯沼貞吉
本当は否決?された天守閣再建
会津の輝ける日々 ―上杉景勝と直江兼続―
家康と氏郷 ―秀の字の疑問―
将軍様御成り! ―接待に金のいとめはつけぬ―
鉄火裁判 ―領界争いは根が深い―
鶴ケ城の桜、ちょっといい話 ―高遠桜来る―
会津藩はなぜ降伏したか
あとがき
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